本当は今からでもしたいのだけれど、他にも急患がいて。。」
「ああ、そうだったのか。」
まるで他人事のように感じたことを思い出す。
ずっと、ずっと先のことだと思っていた。
もっと、生きるつもりでいた。
25歳の僕にとって、終わりは他人事だった。
どこかの誰かが、今日も終わった。
その連続は、すぐ横に迫ってきていた。
今まで見ないようにしてきただけのこと、というわけね。」
僕は、あるアパレル会社の勤め人として日々を過ごしていた。
皆のことは好きだったし、仕事自体もやりがいがあった。
でも、どこかで感じていた。
追い抜いてやろう。
溜まるストレスにも体を慣れさせ、何も感じなくしていった。
何も感じないことは、都合が良かった。
苦しくも、痛くも、ない。
合理的に素早く事に当たることが、求められてもいた。
決まった言葉を的確に使うことのできるロボットのように仕上がった僕がいた。
社会の枠組みに適応している。
どこかぎこちなく疲れたように笑う自分を見つける。
そんなことに氣がつかなくなる程まで、何も感じなくなっていたとは・・。
脳の手術は、局部麻酔。
記憶も言葉も使うことができるのならば、次の人生は、もう嫌なことはしない。」
何も感じない僕にも、好きなことくらいはあった。
色とりどりに人々を誘う巨大なビルに吸い込まれる大勢のうちの一人として、活氣づく渦の中をまわっていた。
でも、嫌なこともたくさんやっていた。
未来のために、今を耐えれればいいと思っていた。
耐えている最中に、自らが絶えてゆくことを知る由もないまま。
薄れゆく意識の中、インドを旅したことを思い出していた。
自分という人間が、どう立ち回れるのかを知りたかった。
寝る場所、食べ物も今までと違うものばかり。
そんな場面で、自分はどうなるのだろう?
敷かれたレールの上を進んできた。
氣がついたときには、学校に通っていた。
数字をつけられた。
数字には、優劣があることを教えられた。
優秀でありたかった。
そのために、努力してきた。
止まることなど、できなかった。
他人は、時として友の顔をし、時として敵となった。
留まることの無い、競い合いの世界。
インドという国が、競争の螺旋から僕を引きはがした。
混沌とした人の森。
他人は競争相手であった僕にとって、その森は危険に映った。
バタフライで泳いでいくかのよう。
意を決し、飛び込んだ。
泳ぎ続けた。
次第に、熱さは心地よさに、ねばねばは繋がりの絆に変わっていった。
人に優劣など、無い。
年齢も、地位も、権力も、ただの呼び名。
人間とは、両手を広げ横で繋がってゆく生き物。
そんな大きな感覚が訪れた時、人の森は、その姿を変えていた。
まぶたに、光を感じる。
朝が、来ているよう。
インドへ旅していた氣がしていたが、どうやらここは病院のベッドの上。
そうか、僕は手術を終えたのか。
瞳を開けると、無機質な白い天井と、カーテンが映った。
手足を動かそうそしてみる。
はっきりと、動く。
声を出そうとしてみる。
声も、言葉となる。
記憶も、しっかりとある。
終わりは、隣に座り、存在を知らしめ、僕を逃した。
世界中を旅してみたい。
そんなことは、どこかの誰かのすることだと思っていた。
自分には、無理だと思っていた。
言い訳は、山ほど生まれ、そのたびに僕を納得させた。
もう、終わりだと感じた。
もし、終わっていたら、残念に思う。
だとしたら、やるのは紛れも無い、僕だろう。
単純に、世界の姿を見てみたかった。
それぞれの国に暮らす、人々の営み。
わき上がる熱。
自由になりたかった。
終わってゆくと感じた時、わめき散らしたい自分がいた。
死の淵ですら、僕は作られた枠から出ることもできなかった。
悔しかったし、惨めだった。
似たような枠の中で苦しんでいることを直観した。
僕は、旅をして、僕を自由にする。
僕は、僕を救い出す。
社会の中で似たような苦しみを持つ誰かを救うことにもなるだろう。
旅を、本にしよう。
自由を感じてもらえる、そんな本。
僕は、世界を旅した。
70余りの国々を訪れ、数えきれない出逢いと別れの中を通り過ぎてきた。
撮りためた写真は、何万枚になるだろう?
一度帰国した際に、手づくりで本の形にした。
誰にも手を加えて欲しくなかった。
僕の皮膚を通過した、生の感覚と、世界の奥深くに流れる源流を詰め込んで、
何度も読み返してもらえるような本にしたかった。
日本は今、一日に200を超える新刊が発行されると言われている。
情報に溢れている。
音楽も本も、デジタル化され、値段も安くなり、名前は忘れられる。
手に取るもの多くが、希薄化してきている。
濃密で、熱く、信頼でき、繋がってゆく先に。
手づくりに適していたように、振り返った今、思う。
先走る想いだけで作り上げた世界の写真と言葉集。
高価なインク代がそのまま跳ね返っている。
それでも、手に取りたいと言ってくれた人がいた。
お金と、不器用に創られた本を交換してくれた。
Facebookで告知したため、買ってくれた人たちは、僕の友達。
友達から、お金を頂く。
友達がそれぞれの労働で手に入れたお金を、分けていただいているという感覚。
浪費家だった僕は、姿を消した。
皆が僕に、分け与えてくれた力。
大切に、使おう。
頂いたお金を握り、再び旅立った。
本当の顔に氣がつかせたインド。
旅は、瞑想とヨーガに充てた。
旅を、自分の生きた軌跡を、見つめた。
長かった髪もそり落とした。
人里離れた山の中で暮らし、
僕は、逃げていたのかもしれない。
逃げ続けていた。
迫り来る、他者との比較。
そこから生まれる、評価。
途中で帰るわけにはいかなかった。
逃げて、逃げて、逃げ切らなければ。
逃げることは、僕にとって、挑戦であった。
逃げ続けた先に、僕を待っていた光景。
比較も、評価も、ない。
優越も、劣等も、ない。
かつて作り上げた本に、新たないのちの彩りを足した。
旅を、生まれてから今までを、この血を、肉を、全存在を賭けた表現。
人にとっては、幼稚なものであるかもしれない。
取るに足らないものであるかもしれない。
手づくりの本、子供染みた表現。
恥ずかしさは、残る。