性格は、変えられる。性格ができるまでのメカニズム。

こんにちは。
「わたしに還るyoga」のクラスを開いています、山崎大です。

 

クラス安曇野も春うらら、さくらも満開です。
氣持ちのよいこの頃です。

様々ないのちが芽吹き、彩りを増してゆく景色に囲まれていると、内側があらたな始まりを求めていることを感じます。

 

この春からは、yogaの「つなぐ」力をより前面に出していけたらと感じます。

 

新たに出逢って、心地よく繋がってゆくこと。

 

人には様々な喜びや願いがあるものだと思いますが、「出逢い、繋がること」はそれ自体が喜びであり、更に大きな喜びへの基礎になる大切なことであると感じています。

今回は、人と出逢い繋がってゆく上で、大切になるそれぞれの「性格」について、それが出来るまでをひも解きながら綴ってゆけたらと思っています。

性格とは、どのようにして出来てゆくのでしょうか?
朗らかで良く笑う性格。
卑屈な性格。
臆病な性格。

 

などなど、人の性格をあげ出したらきりがないのですが、生まれた時から大人になるまで、すこしずつすこしずつ、性格は造り上げられてきたように感じます。

世界を旅していた頃、アルメニアとイランの国境でこのような方と出逢いました。
「次の町まで乗っていきなよ」
と親切にも声をかけて頂きました。

 

この方は、とても親切な性格です。

 

どうしてこの方は、見知らぬ人を車に乗せるように接するのでしょうか?

 

人によっては、
「知らない誰かを車に乗せるなんて狂気だわ!」
と感じたり、
「女性ならまだしも、男性は乗せるものですか」
と思うのかもしれません。

 

 

そのように感じたり、行動したりする裏には、「必ず過去がある」と思っています。

 

 

写真の男性は、過去において「他人を車に乗せたこと」があるのでしょう。
そして、その中で楽しい話題に花が咲いたのかもしれません。

 

もしくは、他人から同様の話を聞いたことがあるのかもしれません。

 

間違っても、「他人を車に乗せてあげようとしたら拳銃を突きつけられ身ぐるみをはがされた」という過去は無いはずです。

 

もし、その体験を経た上で、満面の笑みと伴にヒッチハイクする外国人を乗せてあげようと思えたとしたら神です。

 

つまり、何かを目にしたときに感じる感覚や、行動は過去の体験から造り上げられてゆくということが言えると思います。

性格とは、行動のパターン、思考や感覚のパターンに他ならず、それは過去を抜きにして語れないものだと思います。

性格は遺伝するとも言われますが、遺伝子にも記憶があり、その記憶を引き継いでいることを考慮すると、やはり性格は過去の記憶から始リを告げているのです。

余談になりますが、ほ乳類はむかしむかしそのむかし、ねずみのように小さかったようです。

 

天敵は、巨大なヘビでした。

ヘビにいつも食べられてきたのです。

「ヘビをみたら逃げろ!」これが過去から手に入れた教訓であり行動です。

この記憶は遺伝子を経由して引き継がれ、猿の赤ちゃんにヘビを見せると逃げ出すようです。

わたしたち人間も例外ではなく、「ヘビだあーっいすき♡」という方が滅多におられないのは、遺伝子の記憶に寄る所が大きいと言われています。

わたしたちの性格は、遺伝も含め、過去の体験とその記憶から引き出されているということが言えます。

 

では、どのような記憶が、性格を作り出す上での鍵となるのでしょうか?

わたしたちは、心地よかった記憶は「もう一度味わいたい」と願い痛みなどの不快な記憶は、「もう二度と体験したくない」と感じます。

 

そしてそれは、脳の深い部分で、信号として扱われており考える前に体が反射的に反応する仕組みがあります。

 

それは、梅干しを見たら勝手につばが出てくることに似ています。

「梅干しは酸っぱい」という過去の記憶が、反射的に体を反応させてくるのです。

もし、今までにおいて梅干しを一度も見たことの無い外国人であれば、つばはまず出てきません。

 

そして、その反射に加え、快か不快かに判別をしています。

 

とてもおいしかったラーメン屋さんにもう一度行きたくなる様に、心地よい記憶は再度求めるというメカニズムがあります。

同様に、すごくすごくまずかったものはもう二度と食べたくありませんよね?

「まずい!!おかわり!」となるのは、青汁だけの話です。

この記憶に対する「快・不快の判断」がその後の行動のパターンを決め、性格を作り上げてゆくというメカニズムがあります。

クラスで行う瞑想は、意識の深まってきた辺りから過去へ戻っていきます。

体が完全に脱力し、思考が停止した状態で過去に戻ってゆくと、思考レベルでなく体験のレベルで過去を見ることが出来ます。

 

過去において、何が起こったのかが事細かに分かり、「過去の記憶にどのような判断」をしてその判断から現在の行動を決めていたのかに氣がつきます。

 

この氣付きが、性格を一変させることは良くあると感じています。

 

「ずっと絵が下手だと思っていたけれど、友だちに笑われたときに下手だと思い込んでいたのだった。」

「人前で話すことが苦手だと思っていたけれど、幼い頃先生から注意されたことから、そのように思い込んでいたのだった」

 

そんな思い込みの殻が氣付きによって破られてゆくのだと感じています。

 

言葉にすると、味気ないのですが、体験を伴った過去が氣付きにより意味の書き換えが行われる時は、衝撃的な体験となることが多いと感じます。

まさに、肚から理会する。

腑に落ちるといった体験となると感じます。

瞑想により
性格は、変わる。
同時に、過去の意味付けも変わる。
過去の意味付けが変われば、過去が変わったも同然。

そのように感じています。

瞑想は過去の意味を書き換え、癒し、よりパワフルに行動してゆくことが出来るチャンスをいつでも与えてくれていると感じます。

 

出逢い繋がってゆく春。

よりパワフルなご自身として行動をしてゆく切っ掛けとして、瞑想をお伴にして頂けたらと思います。

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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