今まで。そして、これからの僕。

インドへいきましょう^^

 

そんなブログを去年綴ってから、、こちらのブログに手をつけることなく過ごしていました。

 

みなさま、元気にされているでしょうか?

 

僕も元気にしています。

 

安曇野は先日の大雪で真っ白な景色が周りを包み、その中に身を置くと、自身の内を言葉に置き換えておきたい気持ちにさせてもらえます。

 

ちょうど、ひと月前・・。

 

インドに11名で降り立った日です。

昨年に続き、大勢でのインドは2度目。

↑1度目のインド。

↑今回のインド。

1人で旅をしていた頃が数年間、僕にはある・・。

 

駆けるように国々をまたぎ、文化の匂いを吸い込みながら、その匂いの密度が急激に増したことを感じた国が、インドだった。

 

ここには、また訪れるだろう・・。

 

そんな、先を射抜くような感覚を時々僕は感じることがある。

 

インドでは、それを確かに感じた。

 

中東の、湿度すら感じる宗教の空気も。

アフリカの、黒人たちから沸き立つ人間という生命の躍動も。

南米の、人知を超えた大地の威厳も。

 

通り抜けながら、一人旅を終点に持っていたのは、やはりインドだった。

 

世界中の大陸を歩き、不満だった・・。

 

もちろん、行っていない国は数知れず。

 

ただ、このままいくら旅を続けて、全ての国へ行ったとしても、この不満は消えない。

 

そう直観していた。

 

なんなのだ、この、感動しながらも、どこか腑に落ちない気持ちの悪さは。

 

それが、
「何故生まれ、今も生きているのかを知らない」
ということが根であること。

 

そして、生まれ出た社会で幼少より教わってきたいくつもの「良いとされるモデルを良いとし、自分をそこに当てはめようと努力し続けている姿」そのものから生み出され続けていることだと知ったのは、旅を数年続けた何度目かのインドで瞑想と出会ってからのことであった。

 

僕の独り旅は、三年半は続いたが、それは決して若者の勇敢な決意や覚悟があって始まったものではない。

 

日本で生きることに疲れ、死に場所を探しに出かけた。

 

大げさに聞こえるかも知れないが、始まりはそんなものだった。

 

ひとつだけ、決めていたことは、「本を書くこと」だった。

 

生き方を知らなかった自分。

 

日本で、社会に入り込み生きることに疑問や反発を感じながらも、どうすることもできなかった自分を、もしかしたら世界が救ってくれるかも知れなかった。

 

生きて帰国できた暁には、底から、浮上してゆく様を書き残せたらと思っていた。

 

それは、糸の切れた凧のように海を越えた僕にとって、唯一目の前を照らす光だった。

 

そして、僕より後の若い世代。

 

この日本で生きるということが、自分を押し殺してゆくことだと、息苦しく感じるであろうこれからの若い世代に向けて。

 

日本での生き方を、自分を輝かせて生きることができる生き方を、お伝えできたら。

 

そう願ってもいた。

 

旅を終え、本の形にはしたが、手作りの無骨なものだった。

 

もっとクールに、出版社から出したかった。

 

当時は資金も、ツテもなく、かっこ悪いとは思ったが、仕方がない無骨なまま、送り出すことにした。

 

「生き方のstyle」という本。

 

 

ありがたいことに、多くの方々に手にしていただけた。

 

今だに欲しいとお伝えしてくださる方が時々いる。

 

こちらは、いずれ多くの方の手に取れる形に変えてゆけたらと思っている。

 

そう。

 

この本を書き終えるピリオドを打ってくれたのも、インドだった。

 

もっと言えば、瞑想だったのだが、旅がインドへ導き、そのまま瞑想へと僕を連れて行った。

 

今年も、そのインドの地を踏むことができた。

 

そして今回は、独りではない。

 

多くの仲間と伴にいる。

 

当時よく登り、瞑想をしていた丘。

その丘に、みんなと登った。

 

 

 

数年前の僕が、記憶の中で重なってくる。

 

 

そうか、君は。

 

時を超え、僕の中に今も宿っているのだね。

 

数年前の僕よ。

 

一筋のわずかな・・光ともわからないその道をゆく僕よ。

 

毎日瞑想を続けながらも、先の見えない不安に潰されそうな心よ。

 

君・・。

 

「そのまま、進め。」

 

そのまま、我が道を信じ抜け。

 

先の姿は、ここにいるぞ。

 

こんなにも素晴らしい仲間と、伴に。

 

君が見た、大好きな夕日を、分かち合うという充足さで全身を痺れさせながら。

 

 

だから、そのまま、進め。

 

 

先の見えない不安も、孤独も、それらが甘露の味わいに変わるために存在していることを後で知る。

 

孤独こそ、甘露の源なのだ。

 

不安こそ、甘露の生みの親なのだ。

 

だから、味わうといい。

 

それでいいんだよ。

 

 

当時の僕は、僕の中で嬉しそうに笑い。遠くから吹いてきた風に乗るように溶け消えていった。

 

 

今回のインドも、最高の仲間に恵まれ、最高の体験となった。

 

 

日本との振り幅は、激しい。

 

文化の違いに圧倒される。

 

その振り幅は、ストレスにもなりうるが、実は、自分という枠組を打ち壊してくれる何よりものギフトとなる。

 

インドは、自分自身を写し出す。

 

よく聞く言葉だが、まったくその通りだと感じる。

 

 

ありのままの自分を見つけ出すことができる。

 

今回の旅は、「わたしに還る旅」そう名付けた。

 

それぞれが、インドを体験する中できっと、自分自身と嫌が応にも向き合うシーンをインドが用意してくれたことだと思っていた。

 

 

インドは、僕を救い出した国だ。

 

僕に瞑想を授け、これからもきっと多くの人たちを揺さぶり続ける。

 

僕はこれからも瞑想を、インドをお伝えし続けるだろう。

 

今年からは、拠点を安曇野シャロムヒュッテに移し、その原点を表現してゆけたらと思いを馳せている。

臼井健二さんが生み、走らせたシャロムヒュッテは、現代に問いかける場として、自然と伴に生きる生き方を実践し続けてきた。

 

今では、日本のパーマカルチャーや自然農の顔となり、土台は分厚く強固だ。

 

その土台を基礎として、「本来の自分自身で輝き生きる」そんな実践を展開してゆけたらと思っている。

 

様々なご縁が結びつき、僕を導いてくれていることを感じている。

 

不安がないと言えば嘘になるが、希望の方がはるかに大きい。

 

そして、また数年後、その地点から今の自分に言ってあげたいと思っている。

 

「そのままゆけ、先は、明るいぞ!」と。

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今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

瞑想をお伝えし出して3年ほどが経ち、関わる多くの方々がより楽に、自由に本来の姿で生きることができるようになったことを感じています。

直接お会いできない方へは、瞑想CD「medicine meditation」をオススメしています。

わたし自身がナレーションをし、瞑想をガイドしています。

お続けいただいている方からは、喜びの声をいただいています。

ご興味のおありの方、ぜひお手にしてみてください^^

 

みなさんの生活がより豊かに、自由に、自分らしく輝いてゆく。

夢が叶ってゆく。

そんなお手伝いをこれからも、さらに充実させ行なってゆきます。

どうぞ、よろしくお願いします^^

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