もう一度、生まれる。

こんにちは。

わたしに還るyogaのクラスを開いています、山崎大です。

 

先日、ナウリ浄化法の特別クラスを松本市の東昌寺さんにて行わせて頂きました。

薬師如来さまを前に行う瞑想は、高次の助けも相まってぐっと深まったように感じました。
大きなキャンドルもご用意して頂け、心地よい明るさがありがたかったです。

ナウリを行うにあたり、お腹に溜っている感情の開放が重要と考え、そちらを開放してゆくことをまず初めの目的としクラスを始めております。

お腹に指を押し当て、揉み解すように直接的にアクセスしてゆくことも大切と捉えておりますが、そもそもどのような感情がお腹に溜っているのか、ひも解いてゆくこともまた一つ大切なことだと感じています。

 

なぜ、「感情はお腹に溜る」のか。
そして、なぜわたしたちは「感情を自由に表現できない」のかについて今回はわたし自身の頭を整理することも目的とし、綴っていけたらと思っています。

 

何となくですが、長くなりそうな予感がいたします。

 

お急ぎの方は、後ほどお時間のあるときにお読みいただけたら幸いです。
お手洗い、我慢されている方は、出し切った後がよろしいかもしれません。

 

では、いきます。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

いつの頃からでしょうか?

 

あれほど無邪氣に泣き、笑い、思うがまま駆け回っていた幼い時代から、少しずつ泣くことを我慢し、笑いも場をわきまえ、全力で走ることをしなくなったのは。

 

 

全力で走るどころか、何かにつけて「全力である」ことを暑苦しいやストイックすぎると言い訳し、避けるようになったのは。

 

その奥には、何が隠れているのでしょうか?

 

 

そもそも、泣き笑い、全力でかけずり回ることを「無邪氣」と呼びます。

簡単にいえば、無邪氣とは内側の思いに「素直」であることです。

 

無邪氣とは、字の如く「邪氣が無い」ことであり、素直とは「素のままに真っ直ぐであること」です。

 

つまりどこかで、邪氣が入り込み、真っ直ぐではなく少し歪んでしまったのでしょう。

 

歪みという文字が出てきましたので、「歪み」も文字として見てゆくと、「正しくない=不正」です。

つまり、「内側の感じていること、思っていることをそのまま出していない(素直でない)」状態です。

 

では、「邪氣」や素直さを「歪める」そのものとは何なのでしょうか?

 

それが実は、「外側の世界(他人を含む)」だとわたしは感じています。

わたしたちは、楽しいときに笑いました。

悲しいときに泣きました。

誰だって幼い頃はそうしてきたはずです。

けれど、そうでないものと出逢うようになります。

 

「ここでは、笑ってはだめ」
「もう大きいんだから(男だから)泣いてはだめ」
というように、外側から制限が被せられてゆきます。

 

そして感情表現とは、「生身」です。

 

その人そのものの感受性をあらわし、「生のその人」なのです。

 

否定され、矯正されることで、「痛み」「傷つき」ます。

感じていることを共感したいと同時に、共感できなかったり否定されることで「痛み」「傷つく」のです。

以前のブログ「自分の世界を取り戻し、自分の世界を守ること」に綴ったように、わたしたちは「一人ひとり違う感受性を持ち、違う世界を生きて」います。

 

だからこそ、会話し、共感してみたいのですが、共感したいが故にそれが「できないと悲しい」と感じます。

 

その「悲しみ」「痛み」を感じたくない(避ける)が故に、「生身である感情」を出さなくなってゆきます。

つまり、嘘つきになってゆきます。

「本当は泣きたいけど、ぜんーんぜん、感じてないもーん!」
「めっーちゃ、笑いたいけど、平氣だもんねー!」

と周りを伺いながら、「ありのままの生身」を隠すように嘘をついてゆくのではないでしょうか?

 

嘘つきといったら、言葉は極端ですが、そんなものだと思うのです。

その嘘が、「歪み」であり「邪氣」なのだと感じています。

 

そして、その邪氣を運んでくるものの正体が「外側の世界(他人を含む)」です。
そして外側の世界とは「常識」であり「普通」という考えです。

 

「一人ひとりが違う世界を生きている」
ことを認識できていない幼少期は、
「○○ちゃんは、ちがう〜」は、「○○ちゃんはおかしい〜」となりがちです。

 

違って当然という感覚がなく、全てを自分の感覚で捉え、違うものはおかしいものとしたいのです。

 

しかし、他人の多くが自分と違う場合、「わたしがおかしいのかな?」となっていき、答えを求めます。

その答えとなるのが「常識」や「普通」という考えになる訳なのですが、「常識」も「普通」も知っていて一応の役には立つのですが、「虚構」です。

 

こちらについては、以前のブログ「自分の世界を取り戻し、自分の世界を守ること」をご覧いただけたらと思います。

 

「普通はこうだから」とその「普通」に自分を当てはめて、その「普通」に沿ったように表現し「本当に感じている自分」を隠し守っていきます。

 

今、多くの方が「常識」や「普通」といった「虚構」を隠れ蓑にし、「本来の生身の自分」を表していないのが現状だと感じます。

そうしている以上、幸せを感じることはないと思うのです。

「本当に感じている自分」を置き去りにしていますので。

ですが、「ここでは笑ってはだめ」
とか
「もう大きいのだから泣いてはだめ」
と子どもに言うことが悪い訳ではないと感じます。(もちろん理由もしっかりと伝えた上で)

 

多くの方々と関わり生きる以上、社会的な「常識」や「普通」の物差しは持っている方がずっとスムーズです。

常識や普通の中に身を浸し、学び取ってゆく時期は大いにそうするのがいいと感じます。

けれど、それは他人や社会とスムーズに関わるための道具であり「虚構」であることは忘れてはならないと強く思います。

何事も常識的でてきぱきと事をこなし、笑いも泣きもしない。

となれば、経済社会の中では有能なのかもしれません。

 

そして、そうしていた方が、経済でまわっているシステムの中ではスムーズなのはいうまでもありません。

しかし、それはシステムを回すという事においてです。

そしてよりスムーズさを求めるのであれば、経済をまわすのは人間でない方がよりいいでしょう。

より正確な「ロボット」や「コンピュータ」の方がずっと有能でしょう。

それがいいのなら、常識をきっちり守り感情はひた隠していれば良いのですが、それはロボットの道であり、人間にとっては不幸せの道となることに疑問の余地はありません。

全体的に話が本来の筋とそれてきましたので、一氣に元に戻しますが、「感じている生身の自分」をはっきりと取り戻し、今後はその中に「常識」や「普通」や「他人の尺度」を介入させないことが大切だと感じます。

 

それらを介入させれば、「生身の感じている自分」を押さえることに繋がっていきます。

 

そして、「笑いたいけれど、笑わない。」「泣きたいけれど、泣かない」ときに、お腹が緊張し、お腹にそれらの感情が溜っていくという道を辿ることになります。

わたし自身、「大嘘つき」でした。

 

「本当に感じている自分」を置き去りにし、「普通」が求めるものを追っていました。

 

「感じないこと」が日常でした。

そんなわたしは、インドヒマラヤで瞑想に明け暮れ、瞑想漬けの日々を過ごしました。

ある時、瞑想センターで行われた10日間コースを終了し、本当の自分と繋がった後に見た世界。

そこは、まるで違う世界でした。

朝靄の中、赤い太陽が木々の合間を駆け抜け、動物たちの生暖かい息づかいを感じました。

 

鳥たちが空を駆け抜け、その躍動する鼓動まで手に取るように伝わり、背骨を真下から脳天まで貫きました。

木々の緑は、これ程までにという程に鮮やかに浮き立ち、地面を流れる水が常に変化していることを自らの血液の流れと同時に感じ、蟻たちが活動する様子が自らの体内を駆け巡るエネルギーと重なりました。

「こんなにも、こんなにも、うつくしい世界を、生きていたのか・・」

「この世界は・・甘美だ・・」

どこかで聞いた台詞が、思わず口をついて出ていました。

涙はとめどなく溢れ、地面にこぼれ落ち大きな染みを幾つも幾つも、つくりました。

それが、「わたしを取り戻した」瞬間でした。

「本当の自分」と大きく離れていたからこそ、「遂に再び出逢った」という感動は、それはそれは大きなものでした。

 

その時、この世界に「もう一度生まれた」のでした。

 

もう一度生まれること。

 

それが、「本当に感じている自分」と取り戻すことであり、その道が「瞑想」であると感じます。

 

その過程で、お腹の緊張は弛んでいき、かつての感情も開放されてゆきます。

 

「ナウリ浄化法」も瞑想の道を辿る途中にある恩恵の一つです。

 

一朝一夕にいくものではなく、すこしずつすこしずつ大きな氷をしたたたる水で溶かすが如くの継続が大切に感じます。

 

「本来の自分と繋がり、幸せへと向かう道」
もちろんわたし自身も未だ道を歩むひとりの練習者です。

 

ですが、試行錯誤の中、滴る氷を溶かしてゆく水を、温水に変える方法や知識をお伝えできると感じています。

伴に道を歩み、心から笑い、泣ける仲間ができたら幸いです。

また今後もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

最後はなぜだか、これからも宜しくお願いします。
になってしまいましたが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

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