魂で綴ろうと思う。
アメリカに、行ってきた。
今回は2週間の滞在。
ロサンゼルスとラスベガス。
どちらもかつて訪れたことがある街。
世界中を旅し、おそらく400を超える街を歩いた。
もう、どこに行きたいという思いはないと言えば嘘になるだろうか?
そう。
きっと、もういい。
勿論、世界中行き尽くした訳ではない。
それでももう、どこに行きたいと言う思いは湧いては来ない。
どこかに行きたい。
それは自己を満たすものであり、
言葉が適切であるかはわからないがマスターべーションの一種だと感じる。
世界一周しました。
キリマンジャロに登頂しました。
グランドキャニオンで野宿しました。
色々な場所で、色々な楽しみ方がある。
人の数だけ、自己を満たす方法はある。
強者にもなれば、誰とも違った方法をとる。
世界一周と言う旅も、本当に様々だ。
野宿だけの旅もあれば、豪華ホテルだけの旅もあるだろう。
その全てが、すばらしいと思う。
そして、どうだっていい。
どうだっていいのだ。
どれだけ違ったことをしようが、成し遂げようが、どうだっていい。
そのすべてを、讃えたいと思う。
同時に、そのすべてがどうでもいい。
人は、何を成し遂げたかではない。
どこに行ったかでもない。
今、どう在るか。
それだけだと感じる。
何を隠そう、僕は僕だ。
同時に、あなたはあなただ。
僕は、僕でしかなく。
あなたは、あなたでしかありえない。
この地球で。
何億人が、死んだだろう。
何億人が、生まれた?
繰り返しながら。
人は、人を紡いできた。
人は、命を紡ぎながら。
いのちの川として、流れ続けてきた。
流れは、
僕に到達し。
あなたに、到達した。
そして、氣がついた時には、人生という歩みが始まっていた。
留まることはなく、一瞬の休止もない、人生という名の歩み。
地球上でストーリーは流れ続け、生まれた時には途中参加だ。
訳も分からないまま。
ルールだけが脳に書き込まれていった。
学校から、社会から、あらゆる大人たちから。
書き込み完了となったあなたは、大人と呼ばれ、片手に競い合う性質を。
そして、もう一方には劣等意識を、手にしている。
わたしを、俺を、認めろ!!
劣等意識を入れ込まれたあなたは心のうちで、そう叫ぶ。
自分で、自分の価値がわからないから。
称賛の声を聞き、憧れの眼差しを浴びることで、自己を認めようとする。
その道は、どこまで行こうが、どこにも行き着くことはない。
誰とも違うことで。
誰もがしていない方法で。
それは、こだわりという姿。
それは、エスカレートする。
一方。
劣等意識を当然のことと思い込まされた脳は、従うようになる。
自ら考え、生み出すことを避け、受動的になってゆく。
どちらだとしても。
どこに、行こうとしている?
目的地は、どこだ?
他と比べ、競い合いの螺旋。
その仕組みが、巧妙にあなたを騙した。
情報は飛び交い、四六時中あなたを誘っている。
他と比べさせ、劣等意識、優越意識を掻き立てさせる。
もし、少しだけ時間をくれるなら。
瞳を、閉じてくれないだろうか。
この世界に、
生を受けて。
あなたは、あなたを体験してきた。
あなたの目に、広がる世界。
それは、あなたの瞳が捉えた世界。
誰と、空間を共にしても。
あなたは、あなただけのものを見てきた。
誰と、同じものを口にしても。
あなたは、あなただけの味を感じ、あなただけの感想を持った。
鼻を通る匂いも、皮膚に触れる感触も。
そこは、あなたの感覚が織りなす、あなただけの世界。
あなたの体験は、あなたの聖域。
「自分の感受性くらい、自分で守れ。」
誰かが、言った。
そう、感受性とは、あなただ。
あなたが、感じ、あなたが捉えた世界。
世界とは、決まってそこに在るのではない。
あなたが、捉えるから。
そこに、広がる。
それが、世界。
あなたには、あなたの世界が。
僕には、僕の世界がある。
どちらも、聖域だ。
誰も、口を出すことができない。
どんな権力も。
踏み込むことができない。
あなたが、感じてきたこと。
苦しみも、悲しみも、喜びも、感動も。
その全てが、あなただけに感じることのできた、たった一つの体験。
この地球が生まれ。
何億人が、死んだだろう。
何億人が、生まれ。
そして、これからもきっと。
何億人が、生を織りなす。
だとしても。
あなたの体験は今、ここにしか存在しえない、たったひとつの光。
あなたの人生は、光だ。
それが、どんなものであろうと。
唯一の形をとった、光。
誰が、どう言おうが。
社会が、どう洗脳しようが。
情報が、どのように誘おうが。
真実は、変わらない。
ロサンゼルスに、ラスベガス。
人間が、作り上げた世界。
人工的に光る、美しい街並みだった。
その後ろには、原子炉がある。
原子炉が支える、街の光。
人々は、巨大なビルに誘い込まれ、次々と飲み込まれ、吐き出されてゆく。
人間の営み。
科学を用い、原子炉まで生み出した。
そうして川は濁り、空氣は汚れた。
人間は、愚かなのか。
愚かなだけなのだろうか。
人間は、知らない。
大地を這う川。
それが、母の血管であることを知らない。
川が汚れることが、自らの血液が汚れることであることに思考が結びつかない。
空氣が汚れることも。
人間が作り上げた、原子炉の光。
人間は、今もそれに誘われている。
自然と原子炉。
それは、対極に位置する。
人は、もともと自然から生まれた。
自然であるがゆえに、違うものに魅了される。
科学に。
その最高傑作の原子炉に、魅了される。
このままで明らかなこと。
それは、人間は自滅してゆくということ。
科学を生み出し、魅了され、科学を使う人間。
お陰で、口にするものも、肌に塗るものも、身を洗うものも、着るものも、全て科学が入っている。
そして、大地は、川は、空氣は、汚れた。
自滅に向かう道。
氣がついた人たちは、自然と共にある暮らしを訴えている。
無農薬の野菜を、作ろうとしている。
原子炉に、反対している。
科学を着ることをやめ、麻や綿という古来からの生地を使ったものを着ている。
科学から離れ、昔ながらの暮らしを取り戻そうと動いている。
口にするものも、科学を避けている。
分かる。
そうしたい氣持ちは、よく、分かる。
でも、それはもう無理なのだ。
科学を極めた人間の世界。
そこはもう、科学で埋め尽くされている。
無農薬で農をしても、酸性雨が降る。
放射線を含んだ雨が降る。
街で呼吸をすれば、化学物質は肺に入る。
何かを口にして、科学を避けることは、もはや不可能。
科学を避けようとしても、逃げ場は、ない。
科学が極まった原子炉の時代。
どうしたら、いい?
ロサンゼルス。
屋外にあるプール。
二羽のカルガモがプールで泳いでいた。
プールからは、塩素の匂いがした。
毎日のように、カルガモはプールで泳いでいた。
自然界は、科学を許し、受け入れようとしているように見えた。
原子炉と、自然。
その両極を、共存させる。
原子炉と自然の融合。
科学を身にまとい、口にし、体内に入れても、解毒し、尚のこと力強く生きる。
そんな人間の姿。
古来からの伝統を重んじながら、最新の科学も利用して生きる姿。
それが、原子炉と自然の融合時代の姿。
そのために、人間には、知ることがたくさんある。
多くを学ぶ必要がある。
それでも、共存は可能であると信じる。
人間の持つ自然の浄化、断食。
人間の持つ能力を奥底から引き出すヨガ。
この世界の、自身の、真の姿を露わにする瞑想。
人間が古来より大切にしてきた、菌。
ハーブと呼ばれる植物たちが人間にくれる援助。
それらを動員することで、科学が極まった時代に、その全てを身に入れ、浴びながら、尚のこと力強く生きる。
新人類として。
科学の中で、自然の力を最大限に発揮し、力強く生きる。
それが可能であることを、感じる。
自然は、許していた。
塩素の水を飲み、泳ぐ、カルガモのように。
科学に、人間に、歩み寄っていた。
その全てを、愛と呼びたい。
愛とは、「あい」であり、藍だ。
インディゴ。
それは、早朝と、夕暮れに現れる。
昼と、夜が、混ざる時。
空は、インディゴに染まる。
光と、闇。
その対極が、融合している瞬間の、姿。
それが、インディゴ。
藍であり。
愛。
愛とは、対極を受け入れること。
愛とは、極を持たないこと。
無極。
全てを受け入れ、許す、その姿。
自然界は、今もなお、愛で応えている。
人間が、自然にどう応えてゆくのか。
人間が、科学にどう応えてゆくのか。
愛を持って、両極を獲る。
科学が満ちる世界で、自然の力を最大限に発揮し、新人類として生きる。
その方法を持つ一人として。
生き方を、提案させていただく。
まずは、3月17日〜19日に安曇野シャンティクティで開催する
毎回満員御礼で開催される中、今回は空きがある。
毎回、内容を変化させ開催しているため、今回は今回のみの合宿。
タイミングの合う方、会場でお会いできたら。
石川県付近にお住いの方へ。
3月22日。
「バース・アースカフェ〜生まれたことを、地球を愛する時間〜」@石川 夢叶寺子屋
こちらも、お越しいただけたら最高にうれしい。
そして今後、科学の世界で新人類として力強く生き抜くために、
その技を、精神性をお伝えする完全個別セッションをコースとして提案させていただこうと思う。
体にフォーカスし、どんな状況でも解毒のできる体になる
精神にフォーカスし、自分を愛し、受け入れ、環境を問わずブレないわたしの場所。
これらを完全個人にフォーカスし、個性に合わせ修得を目指しサポートをさせていただく。
原子炉と自然の融合時代を生き抜く、新人類へ。
ピンときた方、お問い合わせください。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。