こんにちは^^
イラムカラプテの大です。
あなたが、すばらしい存在であること。
そして、あなたが心の奥で、「そんなわけない。わたしがすばらしいなんてどうせキレイごとだ」とその素晴らしさを否定し、拒絶していること。
どちらもが共存する。
自分のすばらしさを拒絶する分だけ、人生は鈍く渋い音を立て軋む。
全ての方がすばらしいこと。
そしてその素晴らしさを拒絶し否定する思いが、溶け出すことを願い綴ります。
自然の緻密さ。
完全性。
法則性。
そして・・。
自然のその全てが、自分自身であること。
南米パタゴニアを旅た時のこと。
流れる川の水を口にし、自分から出る全てが土に還ってゆくさまを見つめる日々が、当たり前のことを思い出させた。
自然・・。
自=わたし
然り=その通り
自然=わたし、その通り
地球から見ると、太陽と月は同じ大きさで重なる。
太陽の直径は地球の109倍
月のそれは、地球の0.27倍
大きさの全く違う天体が、同じ大きさに見える位置に配置されている。
結晶や微生物。
研究を続けるその人が言った。
デザイナーが居るとしか思えない。
デザイナーを神と呼びたいと。
あなたの手のひら。
その一枚奥に流れる血潮。
分裂する細胞。
一体誰がデザインし、今も動かしている?
神とは、火水。
火の水とは、赤い液体。
今も流れる血液であり、いのち。
神とは、いのちの仕組み。
いのちを仕上げた大自然で、この宇宙。
左は、脳細胞。
右は、宇宙銀河
アインシュタインが言った。
「この世界は、相似形である」と。
大きさ違えど、同じ仕組みで周り、稼働している。
その仕組み。
法則性。
紛れもなく、わたしに、あなたに、今も流れる。
神の仕組み。
わたしは、あなたは、この大自然から成る。
それも、100%。
完全な仕組みの元、今も鼓動する存在。
それが、わたしであり、あなた。
それが、すばらしくないとでも?
「わたしは、すばらしい存在だ。」
そう宣言したとき、どこかに居心地の悪さを感じたり、否定しようとしたり・・。
「そんなわけない」と思うのは、なぜ?
点数をつける教育。
回答が一つしかない世界で正解するには、考えることをやめ、回答を覚えること。
少なからず、思ったことや感じたことにも、正解を与えられてきた。
思ったこと。
感じたことに。
正解などないにも関わらず。
純朴な素直さも、点数の前ではひれ伏し消えゆくように。
ユーモアも、点にはならず、消えゆく存在となってゆく。
こういった毎日を数年続け、中学生にもなれば、投げやりになったり。
卑屈にも、反抗的にもなる。
それが、自然。
自分を、あるがままの自分を、認めてもらえないのだから。
思いや、感じること。
考えた結果を認めてもらえず。
否定され、改められ。
一つだけの回答を覚えることで、やっと認めてもらえる。
つまり、自分を抑え込むことを。
繰り返してきた。
それが当たり前になるまで。
小学校に入学してから、大学まで出たのなら、16年。
その環境にいたことになる。
十分すぎる。
自らが、大自然の法則のもと生まれ出たすばらしく尊い存在であることを忘れ、それを否定するに至るには、十分すぎる年月。
今すぐに、わたしは、あなたはすばらしい存在だ。
と言ったところで、こころには鎖が何重にもかけられていて届かないのかもしれない。
でも、そうだとしても本当のことは、、
「あなたは、あなたの感じたことは、決して間違っていない」
「あなたの感じたことは、この宇宙でたったひとつの一瞬の光」
宇宙が、大自然が生み出した、あなたという存在。
それが、失敗作な訳があるはずがない。
それが、事実。
この大宇宙、大自然の完全性。
それがあなた。
あなたは、紛れもなく大自然そのもの。
そして、すばらしい存在なんだ。
過去にも、未来にも、二度といない。
ただ今、ここだけの存在として、宇宙が創り出した。
比べることが、そもそもできない存在として。
現代の教育。
比べ合う教育。
比べた瞬間、大自然の法則から外れる。
優越と劣等が生まれ、自信が消え去る。
自然の法則からは外れているが、それを否定したいとは思わない。
自然から外れることで、自然を知る。
法則から外れて初めて、間違いであったことを体験を通じて学ぶことができる。
そう。
自然法則を外れることができるのは、人間だけ。
人間だけが、自然を汚せる。
故に、人間だけが、自然法則を体験し学ぶことができる。
自然法則を、神と呼ぶのなら、その調和の仕組みを愛と呼ぶのなら。
人間は、神を学ぶため、愛を学ぶために生まれてきた存在。
だから、現代教育は自然から見て間違っていても、悪ではない。
それも、大切な道。
時が、近づいてきている。
本来の、あるがままの、自然なわたしのすばらしさを認め喜び、人生をクリエイションする。
そんな時が。
心に巻きつけた鎖や棘を抜くには、瞑想が役に立つ。
本来の自分が顔を出す。
その喜びを、分かち合える日を夢見て。
わたし自身、瞑想を日々練習しながら、本来の自分へと向かう一人の人間。
瞑想を始め、時を追うごとに楽になり、豊かになる自分自身を感じています。
歩みを進める仲間として。
お会いいただける時は、どうぞよろしくお願いいたします。
イラムカラプテ でお待ちしています。
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2019 第2回 スピリチュアル断食リトリートinイラムカラプテ
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