こんにちは。
イラムカラプテの大です。
12月に入り、初雪はあったものの今年はまだ暖かな日が続きます。
冬のイラムカラプテは、時々開催されるイベントでいらっしゃる方々をお泊めするゲストハウスとしての顔も保ちながら、シェアハウスの側面が強くなっています。
6名が現在暮らしており、想い想いに生きながらもどこかしらで協力し生活しています。
それは、小さな村のようです。
夕食は、薪の炎で温まった空間にそれぞれが一品ほどを持ち寄り囲み団欒します。
この団欒の暖かな空間こそ、シャロムヒュッテ時代より引き継いだイラムカラプテの核です。
安心して自分をさらけ出していい。
本音で語らえる関係性。
そんな空間、関係性を育める場。
もし、ひとつの家庭がそんな空間であったなら。
家族と全てさらけ出し会える関係性であれたなら。
社会もこの国も、だいぶ今とは違った様相をしていることでしょう。
「自分の本当にやりたいことが、分からない。」
多くの学生が、若者が、中年世代が、同じことを言います。
そう、
それは
「自分の本音」
隠し続け、状況を伺い正解を求めた。
権力の目を掻い潜り、その場で適切な振る舞いを探し当てた。
その連続する日々が、大切な本音を埋もれさせた。
人によっては、本音は話してはいけない。話すものではない。
とまでに思ってしまっている方も少なからずいます。
どちらがいい、悪い。という話ではなく。
本音を封じたその方は、どう逆立ちしても苦しんで暮らしています。
いいえ、わたしは苦しくなんてない。
それなりに幸せだもの。
と強がるその裏に、その方の本音が隠れている。
もう、強がらなくていい。
見栄も、張らなくていい。
苦しかったなら。
それでいい。
負けたのなら、それだっていい。
惨めなのなら、それもいい。
どうしようもなく卑劣なのも。
攻撃的なのも。
抑え込みたいその狂気も。
肉欲も。
その全てが、自然なのだから。
あなたの内に渦巻く全ての味わいを、自然があなたに与え、あなたは今も先ほど飲み込んだ茶を血液として、自然が織りなす心臓ポンプの一打ちで今、生を体験している。
元に、戻ろう。
あなたに、還ろう。
それは、水道の蛇口をひねる代わりに、湧き水を汲みにゆく行為であり。
暖房のスイッチを一押しする代わりに、薪を斧でかち割る行為であり、
いつものオフィスから出て、太陽の日差しを全身に浴びる行為。
小難しくする必要は、本来ない。
本来の自分で生きるためのセミナーに参加したり、講座に高額を投資し学んだり・・。
わたしもセミナーや講座を主催する立場として、参加することが無意味とは思わない。
が、人間は、自然であるのだ。
あなたが今、息を数秒でも止めた途端。
心臓のポンプが早くなる。
この、早くしたのは、誰だということ。
わたしだ。
と言い切るなら。
先ほど食べたものをどう消化し、吸収し、体の部位が現在を保つためにどのように作動しているのかを説明するがいい。
説明しようとした者は、大学を進み、博士となり、いずれは神と出会う。
「自然界の中に、人の人体の中に、偉大なデザイナーがいるとしか思えない。」
それが、研究者が口を揃えていう言葉。
しかし、彼らは、神と出会ってはいるが、神を肉を通して体験してはいない。
ここが研究者の限界となる。
神は、もともと「か・み」という音、つまり発音であった。
文字は後から当てられ、「火・水」で「か・み」とされた。
火と水、それは自然界のこと。
人知を超えた自然界の道理や摂理を人は、太古より「かみ」と呼んできたのだ。
それは、研究し解明するのも良いが、今ここで感覚を通して体験可能。
あなたは、自然界の仕組みで仕上がり、今も自然界の一打ちで鼓動する。
神からいっときも離れたことなど、ないということ。
その体験する全てが、必要があって起こっている事。
自然界を学べば学ぶほど。
自然とともに暮らせば暮らすほど。
全ての出来事に必然性を感じてならない。
そうして同時に、学ぶことでは決して達せない場所がある。
それが、感覚を通して体験するという領域となる。
神は、自然界は、本来学ぶものではない。
それは、肉を、感覚を通過させ、体験するものだ。
そこからの世界は、言葉の出る幕はない。
体験こそが、全て。
馬鹿を見たくないあなたは、リサーチする。
確実な道を探し、これなら大丈夫だと安心したい。
あなたはまだ物足りない。
箔をつけたい。
卒業したら資格がもらえる学校・セミナーに参加する。
箔がついたあなたは、まだ納得しきれない。
まずは見習いからと、地道な一歩と自分を納得させ本気のチャレンジを先送り。
そうこうする内、学び続けるあなたは知識が増えた。
チャレンジを先送りにする自分を慰めるには十分な言葉も身につけた。
そうして、あなたはチャレンジする者を説得にかかる。
危ないよ。
危険だよ。
失敗したら、どうするの?
あなたは、深いところで誰かに慰めてもらいたい。
同じ境遇をたどる誰かに、チャレンジできない自分に寄り添っていてほしい。
だから、誰かにチャレンジされては困る。
置いてけぼりを食らうのはごめんだ。
そう、チャレンジしている人間たちは、どう見たって狂って見える。
強引で、強気で危なっかしい。注意してあげたいほどだ。
でも彼らは聞かない。
あなたの声は、彼らの耳には届かない。
あなたは、不満なのだ。
自分が、自分を生きることができないことが。
誰か、わかって・・。
これが、あなたの心の声だ。
誰が、その声を聞けるだろう。
そう、一人だけが聞ける。
一人だけが、冗談ではなく。
この広がる宇宙でたった一人。
あなたの心の声に、耳を傾けることができる。
それが、あなただ。
あなたは、耳を澄ませる。
何も聞こえてはこない。
数分が経過したかのよう。
・・・まだ、何も聞こえない。
あなたは、耐えきれそうになく感じる。
自分の声を聞こうと静かにしているが、何も起こらないではないか。
あなたは自分の声を聞くということを、宗教者の戯言か、現実を生きないスピリチュアル好きの空想話にとどめておきたい。
じっと広がる静寂に耐えうることを避けたいあまり、今すぐ動き出すための言い訳はあなたを納得させにかかる。
あと一歩。
あなたが、いつものあなたの習慣に戻ろうとするその瞬間。
いつもに戻ったところで、何になるというのか。
また同じような袋小路で、同じような日常に戻ることに。。
悪くない日常。
その悪くなく、同時に充足もない日常に戻ることに何があるのか。
あなたは、静寂を拒むことをやめる。
静寂に、開いてゆく。
静寂に、明け渡してゆく。
すると、声とは、聞くものではなかったことをあなたは感じ始める。
声は、肉から発せられ、意識で受け取るものであった。
あなたは、涙ぐむ。
時に泣きじゃくる。
誰も聞いてくれなかった言葉を、受け止めてくれる存在の到来に。
あなたは、やっと出会えたと感じる。
やっと息ができると感じる。
これが、本当の声。
これが、本当のわたし。
あなたはこれまでの苦しみは、この声を届けるがためにあなたに用意されていたことを直観する。
ここから、あなたはあなたの人生を生き始める。
人生は、展開を始める。
人生を充足を持って生きること。
その仲間を一人、また一人と増やしてゆく拠点。
それが、イラムカラプテが存在する理由であり、運営者のわたし山崎大が生きる理由です。
冬季のイラムカラプテは、ゆったりとほっこりと暮らしの中にぬくもりがあります。
夏場のように忙しくしているわけではありませんので、わたしは瞑想の個人セッションやグループワークを日常行い、海外ツアーも開催します。
この海外ツアー。
スリランカが舞台ですが、とにかく良い。
少しずつ枠が埋まり、あと数名ご一緒できます。
豊かさの度合いは、移動距離と比例する。
どなたかの言葉ですが、大きくうなづきます。
普段、こういったツアーに参加しない方、こそです。
いつものご自身と違う選択から、思いも寄らない人生展開が幕を開けます。
人生は、どなたの人生も、捨てたものではない。
どんな段階からも、年齢からも、性別も、その全ての制限を超え、今、ここから変化することが可能。
共に人生を楽しむ仲間として、お会いできたら光栄です。
そのために学ぶことは多くありますが、わたし自身もイラムカラプテを運営する者として学び続け、イベントや講座としてシェアし続けてゆけたらと思っています。
スリランカ聖地と満月の大支援を受けながら願いの扉を開く旅。
↑あと3名様ご一緒できます。供にこの人生で願いを実現させ生きてゆきましょう。