お久しぶりです。
大です。
こうしてブログにして言葉を綴ることが、とても久しぶりです。
お元気ですか?
こちら、元気にしています。
僕が言葉を綴る時、
深いくつろぎとともに水面に広がる模様を言葉に置き換えてゆくような時間を過ごします。
ブログを綴ることのなかったこの期間。
水面は波立ち渦を巻き、
模様をくつろぎながら捉えるという落ち着きをこしらえることができなかったことを、
今改めて思い返します。
言葉を綴るということ。
懐かしい大好きな時間でした。
僕が自分を知ることであり。
自分を知ってもらうことでもありました。
今、こうして言葉を綴る時間を創れる。
側に居てくれる人。
支えてくれる人。
見守ってくれる人。
お陰様です・・。
そして時代の流れと、今に至る自分の選択に。
敬意と感謝を込めて・・。
現在の僕自身のことを少し。
2022年という今、38歳になりました。
自分の年齢を意識することは日常においてほぼ無く、
今も年齢というものはわたしにとってさほど意味を持ちません。
ただ、現在地として数えた時に、
38回の季節を跨いで生きてきました。
地元の安曇野において、
イラムカラプテと名付けたというコミュニティを立ち上げ4年。
1年目はシャロムヒュッテというエココミュニティを引き継ぐという形を取っていました。
イラムカラプテは、瞑想コミュニティビレッジという、
いささか理解にむずかしい形態を冠にしていますが、単純にはシェアハウスとゲストハウスです。
人生は、面白いですね。
大学を卒業し、小学校の先生をしていた頃の僕。
生きることが嫌になって、人生の全てを投げ捨てるかのように、世界放浪に漕ぎ出した頃の僕。
バックパックに数冊のノートと、ノートの切れ端を遺書にして、インドで瞑想に明け暮れていた頃の僕。
どの年代の僕に同じように流れていた心は・・。
知りたかった。
この世界のことを。
人が、生きると言うことを。
本当のことを。
小学校の先生を初任の仕事に選んだくらいだから僕は、
割と素直で純朴な質を持っていたし、
ルールや決まりもそれなりに重んじる質も持っていたと思います。
知りたいという純粋な欲求は、連れ出そうとした。
ルールの向こう側へ。
そう、行ってみたかったのだ、その先へ。
ルールを作った存在は、ルールの向こう側を知っていると言うことも直感しながら。
命すら投げ出す危うさを持っていた僕を前に、
ルールを守るという学校教育や家庭で培ってきた質は、
濁流に根こそぎ押し流されてゆく倒木のように、
僕の内側で流れ崩れてゆくのでした。
年代で言えばそうそれは・・。
11年前、生きることが嫌になって放浪を始めた頃の僕がそこに重なる。
日本を離れると言うことは、
想像をはるかに超えてルールの向こう側の世界と繋がっていた。













71の国々を通算して訪れ、
数で言えば500近い名前のついた地域を訪れ感じることは、
この日本ほどルールに縛られている国は無い。
という感覚。
生きると言うことが、この程度でたまるか!
大人になったら、もっと自由に生きれると思っていたのに!
20代を後半にして大人と呼ばれる年代に達していた僕が、
感じていたことを言葉にしたらそんな感じだ。
それは単に、心を縛られて生きていたからに過ぎないと言うことを、
世界の国々は僕に直に教えながら僕の心を解きほぐし解放させていった。
ただ、当時の僕は内なるルール破壊に命ごとぶつけるスタンスであったため、
いささか暴走機関車的な質も帯びていたと、今当時を眺めていて思う。
禁止薬物の領域。
さも当然のように、
子供用のハードルを大人が片足で軽く跨ぐかのように、
「ダメ絶対」と幼い日刷り込まれたルールも、
当時の僕の前では何の力も持たなかった。
その氣にさえなれば、向こうから自然と歩み寄ってくる。
全ての事象に共通して言えるこの引き寄せは、
確実に薬物の領域にも作動した。
ただ、なんと言うのだろう・・?
元々持ち合わせていた臆病な質が、
すんでのところで僕を慎重にさせたか、
一般にケミカルと呼ばれる部類の物質を好んで摂取しようとは思わなかった。
この領域での体験を言葉に置き換えることは、難しい。
ペルーでのアヤワスカ体験は、
これらの体験の真骨頂であったことは間違いなく、
当時はこの体験を世界中の人たちが行えば、
世界は一瞬で平和になるとまで信じていた。
薬物体験は、結論から言えば、
自己を縛り付けていたルールや観念の崩壊を大いに手伝い僕を自由にした。
人生の2年近くをそういった体験に捧げてきたといっても過言ではないが、
恩恵と同時にマイナス要因も強烈に受け取り、
薬物における精神疾患を半年以上患ったことも記しておく必要があると感じる。
かつての日本をはじめ世界各地での儀式で、
現代では禁止とされる植物を大いに使ってきた歴史が人類にはある。
そして当時の方がより自然を大切に扱い敬い、
人と人同士も真心で繋がっていたことは、
少し世界の歴史に明るい人であれば共通して知る知識であろうとも思う。
リスクと恩恵を振れ幅を持って体験した。
強烈な内的体験にはそれ相応の指導者が必要であることを強く感じる。
現代社会において指導に相応しい人物はごくごく少数であろうと予想している。
ただし、その上においても、
もし全てのリスクを受け取りながらも、その扉を開けてみたい。
そんな存在がいるのなら、僕に止める術もなければ、想いもない。
導かれるがままに生きるのが良い。
同時にそれくらいの意気込みがなければ、やめた方が良いと感じている。
そして、完全に薬物の領域からは足を洗ったことは、
こちらに明記しておく必要もあろう。
そう、生きづらかった当時の僕は、
壁にぶつかりながら、泥沼に沈み絡め取られながらも、
その道の中で自分自身を縛りつける内なるルールを溶かし解き、
自己の精神的自由の道を歩んできたのだった。
旅も、薬物(その多くは天然の植物なのだが)も、
大いにその力を借りた。
当時を眺めながら思う。
世界を旅する中で、たくさんの文化に触れた。
宗教に触れた。
民族に。
その儀式に触れた。
共通していたことがある。
あらゆる大陸の、あらゆる民族に、文化に、共通していたこと。
それは、、
瞳を閉じていたということだった。
内に向かっていた。
手を合わせ、
祈るように内に向かう仕草は宗教、
民族を超え、多くの国々に共通する仕草であった。
自分の心の動きを感じとるように。
その動きを汲み取るように。
祈り・・。
そんな言葉が一番ぴたりとくる仕草。
僕が世界中を歩く中で、
人類に共通していると見たものだった。
祈りとは、ほど遠く生きてきた。
祈り。
その言葉はどこかむず痒く、
発する自分に居心地の悪さや、
時として苛立ちすら感じる心が当時の僕の中には確かにあった。
日本という文明に生まれ育った僕は、
人々が祈る光景を他人事のように視界の端に入れながらも、
どこかきまり悪く素通りしてゆくのだった。
本当は、どうその命を燃やしたい?
もし、明日。
この命が終わるなら、どう生きる?
使い古された問い。
シンプルなその問いを内側に投げ込んだ時に。
心の一番奥底から叫びと共に跳ね返ってくる想いこそが、祈りだということを。
旅の中で、確かに受け取ってゆくのでした。
僕にとって、旅こそが祈りであった。
そう、さらには、生きることが祈りであった。
まがいなりにも、死を選ぼうとした時がある。
全て嫌になった27歳のある日、首を吊ったのだった。
遠くにいた死が、急にこちらに向き直り、
一瞬で目の前に出現していることを察知した時。
今まで感じたことのない種類の強烈な苦しさが全身を襲った。
生きたい!
苦しさは、生きたいことを訴えていた。
僕は、死にたくない。
首に輪をかける僕は、僕の本当の声を知る。
そして、この地球を、暮らす人々を、生き方を、本当のことを、みてみたかった。
それが僕の祈りであったことを、
分厚い本のページを一枚ごと捲るかのように、
旅の日々を通して確認してゆくのでした。
祈りを生きるとき、
その日々は色を帯び、展開は想像を超えてゆく。
生きるとは、予想通りの日々を送ることではない。
予想など、木っ端微塵にされる展開を受け取りながら、
自分を知り学ぶこと。
想像を超える展開。
そこに森羅万象の法則を垣間見るとき、
天地全てに貫通する無限なる愛に触れる。
人は、それをかつてより神と呼んできたことを、
体験した者は直感するのだろう。
そんな体験も数多させていただいたこの人生だった。
人知を遥かこえる神秘体験も数知れず・・。
そんな体験を重ねる傍ら。
恐れは、いつでも見ていた。
隙を狙っていた。
するすると思考に入り込み、
主導権を取りに来るのだった。
日常から次第に色が減り出し翳りが生じ、
昨日と同じような日々が過ぎてゆく。
予想できる一日。
今日と昨日の区別が曖昧になる。
じわりじわりと入り込んだ恐れは、
そんな日々こそ安心だと思い込ませようとする。
そうして、
一年が早く過ぎたと口にするようになってゆくのだった。
どれほどの神秘体験も至福も、過ぎたものは過去。
今、どう生きる?
今、何を祈る?
今、ここ、
居続けることの難しさをこれでもかと体験した。
今、どんな日々を過ごしていますか?
日々の展開に心が躍っていますか?
それとも予想通りの展開に満足と安心とそして、
得体の知れないやるせなさを味わっていますか?
祈りを生きるか。
恐れを生きるか。
今、選べる。
そう、ただ、それだけだった。
世界は複雑で難解、同時に極限までシンプルであった。
難しい道を模索した。
それも、分厚いページをめくりながら振り返り、
必要な体験として学びにしてゆくのでした。
瞑想。
数千年の時を跨ぎ先人たちが繋いできた
「今」に居続ける確固たる方法。
世界中を旅してやっと見つけた宝玉。
これを、この地上に根付かせよう。
それが、僕の祈りです。
イラムカラプテ。
あなたの魂に、そっと触れさせてください。
アイヌ語と呼ばれるその音は、10000年の昔。
この日本に響いていた音。
その音は、今も風に溶け僕の周りを巡る。
魂に触れる。
その時、
自らの祈りの光がそのまま人生を貫き、
先祖から繋がり届いていた光線であったことを直観する。
祈りは、連なり太い流れとなり、
今も僕の内を心地よく通過している。
先人たちと共に。
今いる仲間たちとともに。
祈りを、この大地へ降ろし続ける。
やがてそれは文化と呼ばれ、
新たな時代を切り拓いてゆくと信じて。
イラムカラプテは、
安曇野の大自然とともにあなたが来ることを待っています。
ともに語らえたら、嬉しく思います。
また、今までの学びを全放出させていただく機会をいただきました。
2022年6月11日からの3泊4日。
北海道洞爺湖にて。
山崎大のリトリートです。
深い体験をともにできる仲間を募集しています。
今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございます。