瞑想は、現代を生き抜くオリハルコン!

みなさま、こんにちは。

「わたしに還るyoga」の山崎大です。

安曇野で今日もマインドフルネスしてきました。

 

今回は久しぶりに、瞑想について綴れたらと思っています。

瞑想をお伝えすることが一つの使命であること、同時に自身でも瞑想を続けることが本来の自分へと還ってゆく道であると感じ、日々瞑想的に生きています。

 

クラスで瞑想をお伝えするようになってから2年と少しが経ち、継続して通ってくださる方々の明らかな変化が起こってきています。

 

そして、その変化を目の当たりにし、わたし自身多くの気づきと、理解の深まりを体験させていただいています。

 

「どうしても現代に、瞑想をお伝えしなくては。」

 

そんな強烈な思いだけが先走り、yoga・瞑想のクラスを立ち上げたは良いものの、どこからどうお伝えしたら良いのか、「伝える」という壁が目の前に立ち現れたのが2年前。

 

 

クラス当初、人力トランス音源を爆音で響かせる中、目は天井を向き、肢体は脱力したまま飛び続ける「ダンシングメディテーション」を60代の方々が集まるクラスでも行なっていたあたりから、内容はハイパーぶっ飛び級でありました。

↑人力トランス「hilight tribe」

 

そんな意味不明すぎる中でも、定期的にクラスに通ってくださる方々のお陰で、少しずつお伝えする方法が見えくると同時に、通ってくださる方々の変化が現れてきました。

 

 

当時はおぼろげであった「人間という生き物の生態」、そして「瞑想がどのようなステップで人に浸透してゆくのか」通ってくださる方々の変化がそういった深い理解につながり、それらの体験が今のわたしの核となる貴重な貴重な財産であります。

 

体験から導きだされた、瞑想での第一ステップと感じるのが「自己受容」であります。

 

それは、自分自身を受け入れるということ。

 

言い方を変えれば、わたしを愛するということ。

 

やや蛇足となることをはじめにお伝えし、言葉の元を辿ると、言葉とは「音」から始まっています。

 

音あり、次に言葉あり、そして書き文字へと変化してきています。

書き文字がなく、話し言葉しかない文明が多くあることからも確かな事実です。

 

愛とは、「あい」であり、愛も藍も同じものを示しています。

 

愛となると、色恋沙汰のニュアンスが交わり本来の意味を理解しづらくなりますので、藍で見た方が分かりやすいです。

 

 

藍、それは空の色。

特に明け方、夕暮れ時の一瞬に空を染め上げる色です。(写真はアフリカの夜明け)

 

その色の示すところは、夜という闇、昼という光、その二極が交わるところです。

 

極がない。

 

無極。

 

双方が交わり、相受け入れあっている姿。

 

その色を藍「あい」と呼び、人が受け入れ合い交わる姿を愛「あい」と呼び、二つのものが交わり一つになる姿を合い「あい」と古来より人は呼んできました。

 

名前にも「愛子さん」ならぬ「藍子さん」が多いのも頷けます。

 

さらに「子」とは、「一(はじめ)」と「了(おわり)」を重ねた文字です。

 

一(はじめ)から、了(終わり)まで。を示し、「ずっとずっといるまでも」という意味を含むようです。

 

女性の名に昔から多く使われている所以がここにあります。

 

 

すーぱー話を元に戻します。

 

 

瞑想とは、「自己受容」であり、それは「わたしを愛すること」です。

 

それは、

「光も闇も、どんな自分自身の性質も取捨選択することなしに認め受け入れてゆく行為」

であります。

 

「自己受容」が瞑想の第一ステップと記しましたが、第一ステップであり、王道であり、真髄に向かう道であると信じます。

 

自己受容し、自身を受け入れた先には、もうひとめくりした自身が立ち現れ、受け入れるための現象も現実にやってきます。

 

瞑想は空想ではなく、現実と二人三脚で完全リンクします。

 

ここから先は、実際にやってみるという形以外に伝える術はないですが、お伝えしてゆく中で体験として一つ確かに言えることは、
「自身を受け入れるという作業は痛みが伴う場合が多いこと」
そして
「受け入れて言ったその先は、以前のご自身よりも確実に楽になっているということ」
です。

 

時々、「瞑想は危険だ」という方がおられます。

 

それは、瞑想という言葉をどう捉えているかに依存します。

 

瞑想と一言で言っても現代は、瞑想の乱用時代。

どんな方法も目さえ閉じてじっとしていたら瞑想と名付けて良いような流れが実際にあります。

 

危険の少ない瞑想、それは「自己受容してゆく瞑想」であり方向性を持たない瞑想です。

 

色々な瞑想法はあって良いと感じますが、「自己受容してゆく瞑想」が王道であると感じます。

 

そんな王道を、お伝えできる準備が整いました。

 

長野県安曇野にお近くの方は、ぜひ実際に「わたしに還るyoga」クラスへ。

遠方からお越しの方は、「安曇野シャロムヒュッテ」にお越しいただけましたら、日曜日の朝ヨガはゲストへ向けてわたしが行なっていますので、会いにいらしてください。

 

実際にお会いできない方へ向けてお届けするために作った
「はじめての瞑想~medicine meditation~」
こちらもとてもオススメです。

 

より幸せに。

 

より成長を。

 

よりわたしらしい人生を。

 

そんな方々へ向けてお届けします。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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