こんにちは。
「わたしに還るyoga」のクラスを開いています、山崎大です。
GWのまっただ中の今日、こちら安曇野は晴天の中、猛烈な南風が駆け抜けています。
記憶によると今日は雨予報だったかと思ったのですが、風さんのお陰で大晴天です。
お出かけを楽しまれている方々にとって、氣持ちのよい日となるのかな。
清々しい日をどうぞ楽しまれますよう。
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先日、「たまからyoga」の交流会として「魂と体をつなぐハヤシライス」略して「タマカライス」というイベントを開かせて頂きました。
月曜クラスをマネジメントして頂いている着物着付師「equinox」さんと話している際に、「交流会しよう!」と急遽思いつき、数日後に開催となりました。
開催まで数日にも関わらず、多くの方にお越し頂け、みなさんで料理したりセッティングしたりと、手作り感満載な空間と料理で、とても楽しいひと時を頂きました。
みなさんと準備している中で、感じたことがありました。
「僕がやりたかったことは、きっとこういうものなんだ」
みなさんとやりとりしながら、確かにそう感じていました。
初めてお逢いする方々が、何かしらの巡り合わせのもと一つの場所に居合わせて。
個と個であったものが、出逢い、触れ合いながら、重なりながら、溶合ってゆく。
初対面のぴりっとした「氣」が流れる瞬間。
イベント終了後の滑らかなここちよい「氣」が流れる時間。
間には、それぞれの「氣」のやり取りがあって、すこしずつすこしずつ溶合って、調和へ向かってゆく。
調和した後は、とてもとても心地がよくて。
それぞれの「氣」がそこではもう繋がっていて。
不安は、安心へとその姿を変えている。
そんな時間を、たくさんたくさん作りたい。
そして、ひとりでも多くの方が警戒することなく、怯えることなく、人と「氣」の交流を楽しんでいただきたい。
そう感じました。
「わたしが行ってもいいのかしら?」
「場違いだったらどうしよう・・」
「変な人って思われたら嫌だな」
「嫌われたくない」
「無視されたら・・」
知らない人が居る初めての場所に行くときに、多くの人が抱くようなそんな想い。
そんなもの、すべてぶち破って、打ち捨てて、「あなたはここにいていいんだ」って心臓を貫くような大声で伝えたい。
そんな想いが僕にはあります。
でも、一筋縄じゃいかないんだよね。
とても人見知りで、人と関わることに臆病で、目もろくに逢わせることができなかった僕には、それがよくよく分かります。
「場違いだったら・・」
と思うのは、あなたが誰かを「場違いだ」と思うから。
「変な人って思われたら・・」
と思うのは、あなたが誰かを「変な人」と思うから。
「嫌われたら・・」
と思うのは、あなたが誰かを「嫌う」から。
そして、それらの奥には、紛れもなく過去に「傷ついた記憶」が眠っています。
僕たちは「人にどう思われるのか」を氣にします。
その「どう思われるのか」という目は、紛れもなく、「あなたが他人を見ている目」
同じ目で、自分自身を見ています。
目は、過去により作られ、全自動で動きます。
目は、全自動に瞬時に、判断しています。
目は、分析し、相手を見定めています。
その目を、ゆるめてゆく。
その目を、見つめて解いて、奥にある目が作られる元となった記憶へと帰ってゆく。
そして、本当のあなた自身の目と繋がってゆく。
その過程そのものを癒しと呼び、僕が瞑想と呼んでいるもの。
大切なのは、「人にどう見られるか」ではなくて、「人をどう見ているか」
目が変われば、より自由になれる。
自由につながってゆける。
yogaとは、「つなぐ」という意味。
つながりの大切さを知ったのは、分離を体験したから。
もう、分離の時代は終わっていい。
瞑想もyogaも「自らを知り、自らと繋がり、人と繋がってゆく」その道の上にあるものだと感じます。
玉ねぎの薄皮をはぎ取るような、氷の塊を徐々に溶かしてゆくような、そんな道なのかもしれません。
道の上にころがる恩恵は、つながりであり、感動であり、充実であり、仕合わせ。
繋がって、仕事を合わせ、しあわせ、充実、感動。
多くの方と伴に歩むことができたらそれはより最高の道となる。
そう感じています。
「魂と体をつなぐハヤシライス」
とてもとてもすてきな時間を頂きました。
今後も繋がってゆけるイベントを発信できたらと思います。
そして一歩一歩自身と向き合い自身と繋がってゆく「瞑想・yoga」もより確かなものとして発信します。
どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。