ヒマラヤンエピソード・光の呼吸との出会い

こんにちは。

 

〈わたしに還るyoga〉のクラスを開いています、山崎大です。

暮らしている長野安曇野は、オオイヌノフグリフキノトウなどの新芽が顔をのぞかせ、吹く風もどこか暖かみの感じる冷たさで、太陽の光線は皮膚を通過して深部まで一直線に走ってゆく強さに変わってきているこの頃です。

晴天が続き、氣持ちの良い日は、個人的に「光の呼吸」と名付ける呼吸法を模索し見つけていった当時のことをよく思います。

ヒマラヤに籠り、自然の中を自然だけで生きていた日に、「光の呼吸」を体験しました。

当時は、ヒマラヤの雨期であり、朝にもかかわらず、むわっと立ちこめる生温い湿氣を含んだ亜熱帯のジャングルの中、裸足で歩き回っていました。

修行という名でヒマラヤに籠ったのを良いことに、僕は常にわくわくしていました。

その土地が生む、豆とトウモロコシに麦。
それからバッファローの乳、にわ鳥が毎日一つだけ生む卵。

それらを食べ、あとは山を裸足で歩き、ジャングルの中を歩き回りました。

ジャングルから戻ってきた時は、両足の指の間にぎっしりとヒルが入り込み、取り除くのに10分程かけなくてはならないことは、確かに修行でした 笑

ジャングルは生氣で満ちていました。

コンクリートジャングルと呼ばれる都会は、確かに人を養っています。

店が建ち並び、食品に衣類、生活を支えるあらゆるものがお金と引き換えに手に入ります。

 

生物を養う、それがコンクリートであるかどうかに関わらずジャングルと呼ばれる場所の持つひとつの役割のようです。

ヒマラヤのジャングルは、コンクリートとは圧倒的に違いました。

生み出し、養う生き物の規模がまるでまるで違います。

そこ自体、ジャングルそのものが息をしており、生きており、生き物であるということが大きく違いました。

コンクリートは、生きておらず、生きていないコンクリートの中に囲まれては、生き物の尊厳である自由を引き換えに差し出さなくてはならず、そのものの生命力も自然と減ってゆきます。

生のジャングルは、全てがいのちでした。

次第に、耳を澄ませば、木々の呼吸を、鼓動を感じるようになり、土に潜む微生物たちのざわめきや、遠くに潜む虎の氣配を感じることも増えていきました。

いのちが、いのちを養い、いのちが、いのちを生み、まわっていました。

ジャングルは、荒々しく蒸し、踏み入れたその時から、いのちのやり取りが始まっていることが、足首にぶら下がり、血液で膨らんだヒルを見ながら氣がつきました。

いのちは、いのちの中で、いのちを分け合い、全体として、一つのいのちとしてまわっていました。

そして、その全体のいのちの輪の中に僕がいるという紛れもない事実が、はっきりと浮き立つように実感出来ていきました。

次第に、個の感覚は遠くなり、僕に流れる血液は、ヒルとなり、ヒルを口にしたツバメとなり、卵となり、また変わり、目の前を横切るトンボになっていると感じたとき、すべては、僕そのものとなっていました。。

山籠もりは、多くが孤独であり、それは、至福でした。

目の前に存在する全てが、僕を分け、僕は、彼らを分けて出来ており、そのすべてが大いなるいのちであり、「自然」でした。

自分とは、自を分けると書くように「わたしを分けたもの」であり、そのわたしとは、「然り」が「その通り」という意味で古来より使われてきた文字が示す通り、「わたし、その通り」=「自然」であることが、心の底から生き物として、いのちとして、実感してゆきました。

ヒマラヤジャングルでの修行生活は、今となっても最高の宝の一つであり、僕をいつも押し上げ支える、揺るぎのない土台です。

ある日、いつものようにジャングルを裸足で歩いていると、あることに氣がつきました。

余談ですが、この時の「歩く」は、ただの散歩ではなく、一足ひとあし感じながら歩き、空氣のざわめきや、草花から醸し出される氣を感じながら歩く、「氣功歩き」をしていました。なので、とても歩みは遅く、時折立ち止まり目をつむり、踊るように手足を動かしている僕を稀にお逢いする村の人たちは興味深げに見ていたように思います。

 

ジャングルは、いのちがいのちを食べ合い、養い、生み出しながら、鼓動し、変化し、その連続の最中で、今、目の前に居ました。

 

「光が奥にある」

「生とは、光だ」

いのちは、食べ合いの中で、「光」をまわしていました。

 

光で、生き物は動き、光が、僕の中をまわっていました。

光とは、文字通り太陽から休むこと無く降り注いでくる光であり、草花や動物の中に巡る「氣・エネルギー」のことです。

最近では、細胞の奥に光を貯蔵する場所があり、光とは「氣・エネルギー」であることも科学的に分かってきています。

ここで科学的根拠を持ち出さなくてはならないことは悔しいですが、これから話す「光の呼吸」が単なる空想やイメージだけの世界と捉えて頂いては、なんとももったいなく感じるからです。

光が、いのちをまわしている張本人であることに、ヒマラヤのジャングルで氣がついたのでした。

そして、そのエネルギーは、口から食べものとして吸収することも出来るのですが、呼吸で手に入れることが出来ることが体感を通して分かりました。

僕は、「光の呼吸」と名付け、日々光を吸い込んで暮らしました。

 

体は息を吹き返したように、奥底から元氣になってゆくのが一日ごと違いで分かりました。
節々のゆるみが加速していくのが分かりました。

体の内側へ意識を送ると、吸い込んだ光は、頭の頂点から脊椎を照らしながら通り抜け、体の隅々まで広がってゆきます。

 

不調や、病氣がある場所は、暗く、闇のように意識できました。

古来の日本では、病氣のことを「病み」と呼び、暗いことを「闇」と呼び、文字の無かった更に古代は「やみ」一言で両方を指し、区別は無かったとききます。

下山後、発見した「光の呼吸」は誰かが同じように発見しているはずだと感じ、インターネットで「光の呼吸」と検索してみました。

 

鼻息は荒めでしたが、結果、もっと荒くなりました。

既に多くの方々が実践しておられ、「万病を治す呼吸」「ガンすら治る呼吸」「若返りの呼吸」「意識を浄化する呼吸」とあらゆる方面からこの呼吸を取り上げていました。

 

ただ、科学的根拠が薄いため、宗教的に思われている団体も少なくないといった様子でした。

春になり、太陽の光が力強さを一層増してくるこの時期、もう表現していっていい時期が来ているように感じています。

「光の呼吸瞑想」
クラスでは、時折取り入れています。

これからこちらのブログでも、やり方を綴っていけたらと感じています。

どうぞ、今後も宜しくお願いいたします。

 

今回も、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

もう一度、生まれる。

こんにちは。

わたしに還るyogaのクラスを開いています、山崎大です。

 

先日、ナウリ浄化法の特別クラスを松本市の東昌寺さんにて行わせて頂きました。

薬師如来さまを前に行う瞑想は、高次の助けも相まってぐっと深まったように感じました。
大きなキャンドルもご用意して頂け、心地よい明るさがありがたかったです。

ナウリを行うにあたり、お腹に溜っている感情の開放が重要と考え、そちらを開放してゆくことをまず初めの目的としクラスを始めております。

お腹に指を押し当て、揉み解すように直接的にアクセスしてゆくことも大切と捉えておりますが、そもそもどのような感情がお腹に溜っているのか、ひも解いてゆくこともまた一つ大切なことだと感じています。

 

なぜ、「感情はお腹に溜る」のか。
そして、なぜわたしたちは「感情を自由に表現できない」のかについて今回はわたし自身の頭を整理することも目的とし、綴っていけたらと思っています。

 

何となくですが、長くなりそうな予感がいたします。

 

お急ぎの方は、後ほどお時間のあるときにお読みいただけたら幸いです。
お手洗い、我慢されている方は、出し切った後がよろしいかもしれません。

 

では、いきます。

 

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いつの頃からでしょうか?

 

あれほど無邪氣に泣き、笑い、思うがまま駆け回っていた幼い時代から、少しずつ泣くことを我慢し、笑いも場をわきまえ、全力で走ることをしなくなったのは。

 

 

全力で走るどころか、何かにつけて「全力である」ことを暑苦しいやストイックすぎると言い訳し、避けるようになったのは。

 

その奥には、何が隠れているのでしょうか?

 

 

そもそも、泣き笑い、全力でかけずり回ることを「無邪氣」と呼びます。

簡単にいえば、無邪氣とは内側の思いに「素直」であることです。

 

無邪氣とは、字の如く「邪氣が無い」ことであり、素直とは「素のままに真っ直ぐであること」です。

 

つまりどこかで、邪氣が入り込み、真っ直ぐではなく少し歪んでしまったのでしょう。

 

歪みという文字が出てきましたので、「歪み」も文字として見てゆくと、「正しくない=不正」です。

つまり、「内側の感じていること、思っていることをそのまま出していない(素直でない)」状態です。

 

では、「邪氣」や素直さを「歪める」そのものとは何なのでしょうか?

 

それが実は、「外側の世界(他人を含む)」だとわたしは感じています。

わたしたちは、楽しいときに笑いました。

悲しいときに泣きました。

誰だって幼い頃はそうしてきたはずです。

けれど、そうでないものと出逢うようになります。

 

「ここでは、笑ってはだめ」
「もう大きいんだから(男だから)泣いてはだめ」
というように、外側から制限が被せられてゆきます。

 

そして感情表現とは、「生身」です。

 

その人そのものの感受性をあらわし、「生のその人」なのです。

 

否定され、矯正されることで、「痛み」「傷つき」ます。

感じていることを共感したいと同時に、共感できなかったり否定されることで「痛み」「傷つく」のです。

以前のブログ「自分の世界を取り戻し、自分の世界を守ること」に綴ったように、わたしたちは「一人ひとり違う感受性を持ち、違う世界を生きて」います。

 

だからこそ、会話し、共感してみたいのですが、共感したいが故にそれが「できないと悲しい」と感じます。

 

その「悲しみ」「痛み」を感じたくない(避ける)が故に、「生身である感情」を出さなくなってゆきます。

つまり、嘘つきになってゆきます。

「本当は泣きたいけど、ぜんーんぜん、感じてないもーん!」
「めっーちゃ、笑いたいけど、平氣だもんねー!」

と周りを伺いながら、「ありのままの生身」を隠すように嘘をついてゆくのではないでしょうか?

 

嘘つきといったら、言葉は極端ですが、そんなものだと思うのです。

その嘘が、「歪み」であり「邪氣」なのだと感じています。

 

そして、その邪氣を運んでくるものの正体が「外側の世界(他人を含む)」です。
そして外側の世界とは「常識」であり「普通」という考えです。

 

「一人ひとりが違う世界を生きている」
ことを認識できていない幼少期は、
「○○ちゃんは、ちがう〜」は、「○○ちゃんはおかしい〜」となりがちです。

 

違って当然という感覚がなく、全てを自分の感覚で捉え、違うものはおかしいものとしたいのです。

 

しかし、他人の多くが自分と違う場合、「わたしがおかしいのかな?」となっていき、答えを求めます。

その答えとなるのが「常識」や「普通」という考えになる訳なのですが、「常識」も「普通」も知っていて一応の役には立つのですが、「虚構」です。

 

こちらについては、以前のブログ「自分の世界を取り戻し、自分の世界を守ること」をご覧いただけたらと思います。

 

「普通はこうだから」とその「普通」に自分を当てはめて、その「普通」に沿ったように表現し「本当に感じている自分」を隠し守っていきます。

 

今、多くの方が「常識」や「普通」といった「虚構」を隠れ蓑にし、「本来の生身の自分」を表していないのが現状だと感じます。

そうしている以上、幸せを感じることはないと思うのです。

「本当に感じている自分」を置き去りにしていますので。

ですが、「ここでは笑ってはだめ」
とか
「もう大きいのだから泣いてはだめ」
と子どもに言うことが悪い訳ではないと感じます。(もちろん理由もしっかりと伝えた上で)

 

多くの方々と関わり生きる以上、社会的な「常識」や「普通」の物差しは持っている方がずっとスムーズです。

常識や普通の中に身を浸し、学び取ってゆく時期は大いにそうするのがいいと感じます。

けれど、それは他人や社会とスムーズに関わるための道具であり「虚構」であることは忘れてはならないと強く思います。

何事も常識的でてきぱきと事をこなし、笑いも泣きもしない。

となれば、経済社会の中では有能なのかもしれません。

 

そして、そうしていた方が、経済でまわっているシステムの中ではスムーズなのはいうまでもありません。

しかし、それはシステムを回すという事においてです。

そしてよりスムーズさを求めるのであれば、経済をまわすのは人間でない方がよりいいでしょう。

より正確な「ロボット」や「コンピュータ」の方がずっと有能でしょう。

それがいいのなら、常識をきっちり守り感情はひた隠していれば良いのですが、それはロボットの道であり、人間にとっては不幸せの道となることに疑問の余地はありません。

全体的に話が本来の筋とそれてきましたので、一氣に元に戻しますが、「感じている生身の自分」をはっきりと取り戻し、今後はその中に「常識」や「普通」や「他人の尺度」を介入させないことが大切だと感じます。

 

それらを介入させれば、「生身の感じている自分」を押さえることに繋がっていきます。

 

そして、「笑いたいけれど、笑わない。」「泣きたいけれど、泣かない」ときに、お腹が緊張し、お腹にそれらの感情が溜っていくという道を辿ることになります。

わたし自身、「大嘘つき」でした。

 

「本当に感じている自分」を置き去りにし、「普通」が求めるものを追っていました。

 

「感じないこと」が日常でした。

そんなわたしは、インドヒマラヤで瞑想に明け暮れ、瞑想漬けの日々を過ごしました。

ある時、瞑想センターで行われた10日間コースを終了し、本当の自分と繋がった後に見た世界。

そこは、まるで違う世界でした。

朝靄の中、赤い太陽が木々の合間を駆け抜け、動物たちの生暖かい息づかいを感じました。

 

鳥たちが空を駆け抜け、その躍動する鼓動まで手に取るように伝わり、背骨を真下から脳天まで貫きました。

木々の緑は、これ程までにという程に鮮やかに浮き立ち、地面を流れる水が常に変化していることを自らの血液の流れと同時に感じ、蟻たちが活動する様子が自らの体内を駆け巡るエネルギーと重なりました。

「こんなにも、こんなにも、うつくしい世界を、生きていたのか・・」

「この世界は・・甘美だ・・」

どこかで聞いた台詞が、思わず口をついて出ていました。

涙はとめどなく溢れ、地面にこぼれ落ち大きな染みを幾つも幾つも、つくりました。

それが、「わたしを取り戻した」瞬間でした。

「本当の自分」と大きく離れていたからこそ、「遂に再び出逢った」という感動は、それはそれは大きなものでした。

 

その時、この世界に「もう一度生まれた」のでした。

 

もう一度生まれること。

 

それが、「本当に感じている自分」と取り戻すことであり、その道が「瞑想」であると感じます。

 

その過程で、お腹の緊張は弛んでいき、かつての感情も開放されてゆきます。

 

「ナウリ浄化法」も瞑想の道を辿る途中にある恩恵の一つです。

 

一朝一夕にいくものではなく、すこしずつすこしずつ大きな氷をしたたたる水で溶かすが如くの継続が大切に感じます。

 

「本来の自分と繋がり、幸せへと向かう道」
もちろんわたし自身も未だ道を歩むひとりの練習者です。

 

ですが、試行錯誤の中、滴る氷を溶かしてゆく水を、温水に変える方法や知識をお伝えできると感じています。

伴に道を歩み、心から笑い、泣ける仲間ができたら幸いです。

また今後もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

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最後はなぜだか、これからも宜しくお願いします。
になってしまいましたが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

ナウリ浄化法・そのメカニズム2

こんにちは。

わたしに還るyoga

のクラスを開いています、山崎大です。

前回の記事では、ヨガの浄化法である「ナウリのメカニズム」について綴りました。

ナウリ浄化法↑

ナウリ浄化法を行うにあたり重要な部分である「内臓の引き上げ」をするには、呼吸をするために使う筋肉である横隔膜を鍛え柔らかくする必要について前回力説しました。

けれど、横隔膜の筋肉が軟化し筋力が高まっても「内臓は引き上げ」はできない。
という所で次回に持ち越しになってしまっていました。

今回は、横隔膜の筋力同様に「内臓の引き上げ」行う際に重要である事柄について綴っていきます。

横隔膜は、肋骨の底辺をドーム状に張っている膜であり筋肉です。

 

息を吐くときに、横隔膜のドームは頂点を高め、肺が縮まり、つられて内臓が引き上がりお腹が凹んでいきます。

 

 

この力を使い、「内臓の引き上げ」を行うのですが、引き上げを行う際にもう一つ重要な点があります。

それが、「腹部が弛んでいること」です。

お腹周りの筋肉、内臓が十分に弛んでいなければ、横隔膜の筋力が上がっても内臓は引き上がりません。

そればかりか、無理に力で引き上げようとしてしまっては、内臓に損傷を与えかねません。

 

内臓は、腹膜や内臓間膜と呼ばれる薄い膜でそれぞれが覆われているようです。

普段、動きの多くない内臓であれば、膜と膜の間も動きはなく、癒着しているのではないかと感じています。

 

実際にわたしが、お腹を弛めるいくつかの手法を自身に行っていた際に「メリメリッ」と内臓と内臓がこすれ合ったり、引き離されたりするような音が聞こえ、感覚的にも同様のことが起こっていると感じたことがあります。

内臓が十分に可動し、弛んだ感覚を手に入れてからは、「内臓の引き上げ」はいとも簡単にできました。

 

ですので、「腹部のゆるみ」が十分に行われていない時点での、内臓の引き上げは行わないということが大切だと感じています。

では、どのようにして腹部を弛めるのか。

そもそも、お腹は弛んでいない(緊張している)のか。

率直に申し上げると、お腹には緊張が溜ります。

そして、多くの方々は溜ったままになっています。

どのような緊張かというと、感情的な緊張が溜っています。

ぽーんと飛び出たお腹をしている子どもは多いと思います。(おおよそ5歳くらいまで)

彼らの内臓状態は理想的だと言われますが、緊張がないためだと個人的に感じています。

 

彼らは、泣きたいときに泣き、笑いたいときに笑います。
それが自然だからです。

自然にしていると、お腹はぽーんっ、と飛び出しています。

 

けれど、「泣きたくても泣けない。」「笑いたくても、笑えない」そんなシーンが成長するに従い増えていくものです。

感情をあらわに表に出すことを、成長にしたがい押さえるようになっていきます。(それがなぜなのか、個人的にとても興味深い部分でありますが、今回は割愛します。)

 

感情を抑えるとき、例えば「泣きたいけれど、泣かない」「笑いたいけれど、笑わない」そんなとき、力がこもるのがお腹です。

そして、泣いているとき、笑っているとき、弛んでいくのがお腹です。

 

お腹が奥に引っ込んでゆく年齢と、泣くことや笑うことを我慢するようになる年齢が似通っているのは、偶然ではないと感じます。

わたしたちは過去を忘れていきます。

時は過ぎ、当時どんなに辛く感じていた感情も日々薄れ、感じることは無くなっていきます。

 

そうして、その出来ごとは解決したかに思えます。

そこには、生存本能による「自己防衛」が働いています。

感情的に未処理の物事を抱え続けていることを避けようとする「自己防衛」が物事を「忘れさせ」ていきます。

 

忘れることで、日常に意識することは無くなっていきますが、意識しないだけで無くなった訳ではないのです。

実際には、未処理の感情は緊張として、お腹に溜ったままになっています。

蛇足になりますが、老人が痴ほうになるメカニズムも、この「自己防衛」の働きによるということが最近では分かってきているようです。

本人が「分からなくなる」こと、または「忘れること」で問題が無くなったように本人には思えるのです。

この忘れたようにしまわれた感情を流してゆくために登場するのが「瞑想」となります。

 

瞑想には、様々な種類がありますが、どの瞑想にも共通して言えることは、体に溜っていた古い感情が抜けてゆくことだと思います。

また、瞑想は、体をリラックスさせ脳波を落としてゆくことで深まっていきます。

 

体をリラックスさせ、脳波を落としてゆくためには、横隔膜を使った深い呼吸が鍵になってゆきます。

ですので、瞑想を深めれば横隔膜は自然と発達し、古い感情も流れお腹は弛んでいくということが言えます。

ナウリ浄化法や内臓の引き上げは、結果自然とできるようになっている。と言えると感じています。

 

お腹を弛め緊張として残っている感情を流してゆく瞑想で有効であるのは、「ダンシングメディテーション」や「光の呼吸瞑想」「お腹と対話する瞑想」などいくつか種類があります。

それぞれ、機会を見つけ順を追って今後綴ることが出来たらと感じています。

 

 

今回は、「内臓の引き上げ」を行うにあたり重要となる「腹部のゆるみ」についてでした。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

ナウリ浄化法・そのメカニズム1

ナウリ浄化法、そのメカニズム

こんにちは。
わたしに還るyoga~のクラスを開いています、山崎大です。

 

今月から、「ナウリ浄化法」の特別クラスを月に一回設けてゆく関係で、今回は「ナウリ浄化法のメカニズム」について綴っていきます。

ナウリ浄化法についての説明は、こちらをご覧ください。

 

どうぞ、よろしくお願いします。

 

では、いきます。

 

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まずは動画からご覧ください。ナウリ浄化法↑

 

髪が長く、お腹が見えづらくなっていること、お許しください。

 

ナウリ浄化法の中で、特別注目して頂きたいところがあります。

 

お腹に大きく凹みができるこのシーンです。

 

インドyogaでは、「ウディヤーナバンダ(飛翔のバンダ(バンダとは締め上げるという意味))」と呼ばれる、行法の一つです。

 

これが決まると、ナウリへの道は開けたも同然となり、ウディヤーナバンダを続けることで自然とナウリは出来るようになります。

 

ですので、今回は、ウディヤーナバンダについて、そのメカニズムを綴っていきます。

 

まず、↑の状態で何が起こっているのかを申し上げます。

 

簡単に申し上げると、「内臓の引き上げ」が起こっています。

 

では、どうして内臓が引き上がるのか、順を追ってひも解いていきます。

 

重要になるのが、内臓を引き上げるための筋力です。

 

これは、「横隔膜」という筋肉を使い行います。

 

横隔膜は、肋骨の下(みぞおちの頂点から脇腹にかけて)を立体ドーム状に張っている筋肉です。

呼吸筋とも呼ばれ、主に腹式呼吸をするときに使う筋肉になります。

 

息を吸い込むときに、ドームが下へさがり、お腹が上から押されて前に出ます。
息を吐く時は、ドームが上にあがり、おなかが上に引き上げられ凹みます。

 

この「息を吐くとき」の横隔膜ドームが上にあがる力を強化することで、内臓を引き上げていきます。

 

〈〈 蛇足になりますが、通常の生活をしていると横隔膜を使い呼吸をすることはあまりありません。
そのため、横隔膜は硬化と共に薄くなり、動きも小さく筋力も弱くなっていることが多いようです。

 

横隔膜が薄いと緊張しやすくなると言われます。

 

緊張することを「上ずる」といいますが、この時の声は高くなると伴に横隔膜が上に上がってしまっているようです。

筋力が弱いため、外からの刺激で簡単に上に上がってしまうためだと言われます。

 

また横隔膜が硬化すると、猫背になります。

内臓や背骨を支える大腰筋と直結しているため、硬くなると動きが制限され、体は猫背になっていきます。
猫背は不幸の始まりと言われますが、神経系統の配置を見てもその通りだと感じます。 〉〉

 

内臓を引き上げるため横隔膜を鍛えるのはもちろんなのですが、「内臓が引き上がった〜☆」と喜ぶ以上に横隔膜を鍛えることで得られる恩恵は山のようにあります。

 

更なる蛇足で恐縮ですが、生き物は「息もの」でありアニマルの語源は「アニマ(アニマはラテン語で息の意)」です。

 

 

生き物が、息を鍛えること。

 

 

それはそのまま、「生きる力を高めることに他ならない」と個人的には感じます。
ですので、横隔膜を大いに鍛え上げていきたいと感じています。

 

話を「内臓の引き上げ」に戻します。
横隔膜を鍛え上げ、軟化し筋力が高まっても「内臓は引き上げ」はできません。

 

なぜかというと・・・・

 

ここからの情報量は横隔膜以上に長くなってしまうので、次回に持ち越させて頂きます。

 

もったいぶったような終わり方で申し訳ございません。

 

次回もお読みいただけたら幸いです。

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今回も、お読みいただき、ありがとうございました。

わたしの世界を取り戻し、わたしの世界を生きること。

こんにちは。

「わたしに還るyoga」の山崎大です。
ヨガと瞑想のクラスで、なにを目指しているのか。
目指している場所をこちらに綴っておきたいと感じ、今回のブログを始めていきます。

 

目指す場所ですので、氣合いを入れて書きます。
そのため、少し長いです。

お時間のあるときに、お読みいただけたら幸いです。

 

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瞑想で目指す場所は、瞑想をする人により様々であり、
「こころ穏やかに日々を過ごすこと」
「自分を見つめること」
「悪習間や中毒から開放されること」
はたまた
「超能力を手に入れること」
などなど・・様々かと思います。
そのいずれの目的も瞑想を行うことによって達成可能かと思うのですが、わたしがクラスで行う瞑想で目指している場所というものがあります。
何を目指しているのか初めに申し上げると、
「自分の世界を取り戻し、自分の世界を守ること」
を目指しています。

 
「???」

 

「自分の世界を取り戻す?世界が奪われているってこと?」

 

「自分の世界を守る?どういうこと?」
とお感じになる方も多いと思いますので、順を追ってひも解いていきたいと思います。

 
では、いきます。

 

話を進める上で、「わたしたちは、一人ひとり違う世界を生きている」

 
ということが、ベースとなりますので、初めにそちらをインドに伝わる昔話を例に用いながら話を進めていきます。
以下、インドに伝わる昔話です。(うろ覚えなので本来の形とは違う可能性が大いにありますが、話の筋は通します。)
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とあるインドの片田舎に、2人の少年が居ました。

少年たちに親はなく、日々物乞いをして生活をしていました。

 

少年の一人は、生まれた時から目が見えませんでした。

 

2人は協力し合って、生活していました。

ある日、いつものように町へ物乞いに出かけようとしましたが、目の見えない少年は体調を崩しています。
「今日は、体が重たいよ。町へ出かけられそうにないなあ」
目の見えない少年は、そう言い辛そうです。

 

「そっか、じゃっ俺がお前の分も稼いでくるからよ。心配すんな。」
目の見える少年はそう応え、ひとり町へ出かけました。

 

町は賑わっていました。

 

その日、ちょうどお祭りの日だったのです。

 

 

人が群がっている場所を覗き込むと、おかゆを配っています。

 

 

「うわー!うんまそうだなあ。おいらにひとつおくれ。」

 

少年はおかゆを手にし、喉に流し込みました。

 

「これはうまいなあ。もうひとつ、おかわり!!」

 

おかわりをたいらげらげ、ふと、待っている目の見えない少年のことを思いました。

 

「ああ、あいつは体を崩して寝ているんだったな。こんなうまいものを持っていってやったら、きっと喜ぶぞう。」

 

そう思いましたが、お椀を持っていないことに氣がつきました。

 

「まいったなあ。お椀がないと持って帰れないや。ま、いっか。あいつのことだし、許してくれっだろう。」

 

帰った後、少年は今日の出来ごとを正直に話しました。

 

「今日な、出かけた町でお祭りだったんだ。そこでおかゆを配っていてなあ。それが、ものずげーうんまかったんだ。お前にも持ってきてやりたかったんだけど、お椀もなくてよ、全部食べちった。」

 

少年がそういうと、

 

「そう、今日はお祭りだったんだね。それは、いい日だったね。僕も、そのおかゆ、食べてみたかったなあ。だけど、そんなにおいしいおかゆって、どんなおかゆなの?教えておくれよ。」
目の見えない少年は、訪ねました。

 

「そうだなあ。あのおかゆは、あったかくてなあ、ふわふわしてて、そんで白いんだよ。」
少年は答えました。

 

「あたたかくて、ふわふわしてて、白いんだねえ。。あったかくて、ふわふわしているのは、僕も分かるのだけど、その白いってどんなことを言うの?」
目の見えない少年は訪ねました。

 

「ん?白か。ん〜、白はなあ。黒じゃねんだよ。赤でもねえし、とにかく白なんだよ。」
少年は答えます。

 

「うん、でも僕には、黒も赤もどんなものか分からないよ。白っていったいどんなものなんだろう?」

 

少年が答えに詰まっていると、ちょうど目の前に白い鶴が通りました。

少年は鶴を捕まえてきて、「こいつが白ってやつだよ」と目の見えない少年に渡しました。
目の見えない少年は、鶴を撫でながら

「ああ、これが、白なんだねえ。白って言うのは、あったくてふわふわしているんだねえ。そうか、白って、あったかくてふわふわしているものなんだねえ」

と言いました。

とさ。

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お読みいただきありがとうございました。

以上がインドの昔話です。

 

わたしたちは人と関わるとき、共通の認識を用いコミュニケーションを図ります。

 

けれど、「誰にとっても共通なこと」というのは、インドの昔話が示すようになにひとつとしてないのが事実なのだと思います。
例えば「おいしい」や「かわいい」といった感覚は、人により千差万別です。

 

もちろん「セクシー」という感覚も人により違うものです。

髪の毛を隠す風習のあるイラン人は、スカーフから僅かにのぞく髪の毛が最高にセクシーなのだと言います。

 

イランを旅していた当時、わずかに覗く女性の髪の毛についておじさんに熱く語られた日は、さすがにカルチャーショックでした。

 

わたしがグッピーであったら、そのままショック死しているところでした。

 

しかししばらくイランにいるうちに、イラン女性が意図的に髪の毛をチョイ出ししている意図も見え隠れし、通りすぎざまの心理的な男女の駆け引きがそこに存在しているのだと氣がつき、髪の毛を見るだけで「確かにセクシーだ」と深く頷く自分が居るようにわたし自身の感覚も変化していきました。

 

蛇足に次ぐ蛇足ですが、髪の毛を見ただけで、「セクシー」と感じてしまっていたわたしは、イランの次の訪れた「世界一ビジョの多い国(しかもそのおおくが奔放な装い)アルメニア」でいとも簡単に撃沈し、3、4日の滞在予定が、十倍に伸びてしまいました・・
冗談はさておいて、わたしたちの感覚は、人によりまるで違います。

 

そして、それが自然なことです。
感覚どころか、インドのたとえ話のとおり、「白」という一見誰もに共通しそうな事柄でさえ、人により捉え方は違います。

 

大げさでなく、耳の聞こえない人には、「音」はなく、目が見えなければ、「色」はありません。

 

世界に色はある!!

とどんな権力を用い宣言した所で、「ない人にはない」が事実です。

同様に、「正しい」も「間違い」も「かっこいい」も「おいしい」も共通するものなど一切ないのです。
その人が、こころから「正しい」と感じたことが「その人にとって(その人の世界)の正しい」なのです。

 

そこに、理論や法律の出る幕などありません。
つまり、「常識」や「普通」というものは、
「あった方が、多くの方が共通に話をする上で便利だから、あることにしているもの」
に過ぎないというのが事実です。

 

「常識」も「普通」も本当はなく、虚構です。

 

にもかかわらず、わたしたちの生きる社会では、この「常識」や「普通」が力を持ちすぎてしまっているのです。
本当にはない虚構にも関わらず、本当の世界(個々が感じている世界)に侵入し、人によっては食い尽くされてしまっています。

 

「おいしい!!」と感じたとき、それをそのまま声高らかに宣言できるでしょうか?

 

それが流行っていないお店で飲んだみそ汁であったときと、5つ星レストランで食べた高級な料理であった時を想像してみてください。
「5つ星レストランはおいしい」

「流行っていないお店はおいしくない」
常識とはそんなものです。

ですが、真実は、「あなたがどう感じたか」と言うことに尽きます。
「5つ星レストランで食べたけれど、まずいと感じた」ならば「まずい」でいいのです。

「まずいと有名で流行っていない店(そんな店があるのかはしりませんが)で食べたけれど、ほっぺたが落ちるかと思った」
なら、それがあなたの真実です。
「まずい」と感じたのだけれど「5つ星レストランだし・・わたしの味覚がおかしいのかな?」となっては、虚の世界に食われていることに氣がつく必要があります。

「〜が正しい」
「〜は間違っている」
「〜は格好いい」
「〜を食べるのが良い」
そんな虚構で世の中は満たされてしまっています。
個々の力は、比例して弱まっています。
「○○が正しいとわたしは思う!」
という時に、理論や科学的根拠を持ち出す必要は本当はありません。
「○○が美味しい!」
というときにそのレストランの評判を氣にする必要も、全くありません。

 

「あなたが、美味しいと感じたこと、あなたにとって栄養となりあなたが正しいと感じたこと、あなたがかっこいいと感じたこと。」
そのすべてが信じるべきものであり、それこそが世界です。

 

 

世界に皆にとって共通なこと(常識)などあり得ないのですから。

 
一人ひとりが違う世界を生きている。
それが揺るぎない真実です。
だからわたしたちは、共感してみたいのです。

 

他の人はどう感じているのか、確かめたいのです。

 

だからこそ、会話をするのです。

もし、「○○がおいしい」と答えが決まっている世界であるのなら、必要なのは答え合わせでだけであって、会話ではありません。

 

瞑想は、瞳を閉じる所から始まります。

 

外との繋がりを一旦切断し、内側で本当に何を感じているのかを眺めてゆきます。

 

いろいろな価値判断や、思考の癖、そういったものが常識から植え込まれたものであることを発見しながら、奥深くに今も居る、本当の自分へとアクセスしてゆきます。
瞑想は病氣を治すことで今では有名になってきていますが、病とは、「こころを否定してしまっている状態」から多くは引き起こされます。

 

「本当のこころ」を発見し、守ってゆくこと。

 

それは、
「常識という本当にはない虚の世界から、自分の世界を取り戻し、自分の世界を守ること」に他なりません。

感じたことを、堂々と、胸を張り、誰もが高らかに宣言してよいのです。
クラスでは継続して瞑想を続け、
「自分の世界をはっきりと取り戻すこと」
を目指してゆきます。

ご興味のある方は、どうぞ遊びにいらしてください。

なぜか最後は宣伝になってしまいます。

愛嬌としてお許しください。

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今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

アヤ・ワスカ体験

世界一周の旅で一番強烈であった、南米ペルーでの儀式体験を前回に引き続き綴っていきます。

前回をまだご覧になっていない方は、古代の儀式「アヤ・ワスカ」を綴るからご覧ください。
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アマゾン流域は、想像を裏切らず蒸し暑かった。

 
子どもたちが、物珍しそうに笑顔をのぞかせながら、こちらを見ていた。

 
村には、シャーマン呼ばれる人たちが数人暮らしていた。

 

 

何人かとお逢いし、その内の一人に儀式をとりおこなっていただくことにした。

 

断食をするように告げられ、儀式は夜、精霊たちが活動する時刻に行うという。

 

蒸し暑い中ではあったが、何も食べないことは特に苦ではなかった。

 

それよりも、村の人たちの笑う顔、

薪で茶が沸いている台所、

ジャングルの木々で作られた小屋やベッド、

アルマジロを仕留め嬉しそうに帰って来る人々の生活に瞳は奪われて、氣がつけば太陽は沈んでいた。

 
時間にルーズという訳ではないのだが、南米を旅していて時間通りということは、そう多くなかった。

 
8時に儀式を始めると聞いていたが、おおざっぱなものだろうと目安程度に捉えていた。

 

時計など、きっと誰も持っていない村なのだ。

 

そうはいっても日本人の血なのだろうか、30分前には指定された儀式用の小屋に入り、スタンバイしていた。

 

緊張はしていなかった。

 

ここには、来るべくしてきている。
そんな、大船に乗った氣持ちで安心している僕が、儀式を目の前にする僕の背中を支えていた。

 
シャーマンが小屋に入り、儀式を始めると次げ、ろうそくに灯を灯した。

 
時刻は、ぴたりと8時を指していた。

 
慎重に、ミリ単位で調整するように、アヤ・ワスカと呼ばれる飲み物をコップにシャーマンが注ぎ始めた。

 
シャーマンは、そのコップを両手で包み腹の前に据えた。

 
祈りだろうか、伝わる歌だろうか、シャーマンの表情からは以前見せていた笑顔は消えていた。

 
真剣であるようで、どこか上の空であるような、不思議な顔をしていた。

 

 
これは、本当に儀式なのだ。

 

 
準備は、できたか?
僕の中の誰かが、心を決めよと告げていた。

 

 
アヤ・ワスカは、世界で一番まずい飲み物だと時々形容される。

 

 

 

口に含んだ瞬間、頬の内側に木々が持つ特有の苦みが広がった。

 

 

ほぼ同時に、塩と酸を含んだ強烈な刺激が、嗅覚を刺した。

 

どろどろと粘りがあり、色を見ずともそれは口の中で、紛れもなく褐色であることを伝えていた。

 

 

 

 

アヤ・ワスカはゆっくりと喉を通り越し、食道から胃が、どのように結ばれているのかを僕に克明に伝えながら、僕の内側を確かめるように進んでいった。

 

 

 

飲み干した後も、ずっと口の中に味が残った。

 

 
あぐらで座り背筋を伸ばし、瞳を閉じるように告げられた。

 

 
これは、瞑想の姿だ。

 

僕の中の誰かが、そのように分析していた。

 

 
シャーマンは「イカロ」と呼ばれる精霊から授かった歌を歌い、儀式に参加するものたちを導くと聞いていた。

 

 

イカロは、あくびのようであり、幼子の鳴き声のようであり、僕の歌という認識を大きく超えているものだった。

 

イカロに耳をあずけ、瞳を閉じていると、確かに心は穏やかになり、思考の数は自然と減っていった。

 

 

 
何分経過しただろう?

 

 

 

文献によれば、30分程でアヤ・ワスカの成分は効果を発揮するようだ。

 

 
ならば、恐らくはそのくらいの時間が経過したのだろう。

 

 
鈴虫の鳴き声が、聞こえていた。

 

カエルが池に飛び込んで、鳴いた。

 

同時にバッタが跳ねた。

 

どこに何匹の鈴虫が、どのような陣形を作り、音を奏でているのか、音を聞くだけで、見えた。

 

 
氣がつけば、鈴虫の音は、耳のすぐ隣から聴こえ、耳から脳の中に入り込み、僕の脳の中で鈴虫たちが鳴き声を上げた。

 

 
カエルもバッタもコウモリも、ジャングルの鳥たちも、すべて僕の内側から鳴いていた。

 

 
一つひとつの鳴き声の音は、波紋となって、重なり、混ざり、ひとつの絵を生み出していた。

 

 

 

 

彼らは、絵を、描いている!

 

 

 

氣がついた僕の驚きをよそに、その絵は次々にその様を変えていった。

 

 
色は驚く程鮮やかで、描写される風景は、ため息が出る程うつくしかった。

 

 
高い山の麓に、湖が広がり、山からは滝が流れていた。

 
彼らの描く絵は、映画のようだった。

 
次々と、映像は流れるように姿を変え、氣がつけば美しい地球を描いていた。

 
地球は、ぷるぷるのゼリーで出来ているように、小さく振動し、輝いていた。

 
突然地球に表情が浮かび上がり、おおきな笑顔がうまれ、瞳からは涙が溢れ出た。

 

 
体の中心から、心地よいしびれが全身に広がり、僕は僕自身も映像の地球と同じように、大きな笑顔を作り、泣いていることに氣がついていた。

 

 

 

 
「お前に、本当のことを見せてあげよう。」

 

 

突然、厳かな声が聞こえた。

 

 

 

「お前は、全てを従えた、永遠の存在なのだ。」

 

 

 

 

眉間が急激に熱くなった。

 

 
激しい熱で、痛い。

 

 
やめてくれ!

 

僕の中の誰かが、そうさけんだ。

 

 

ここで避けたら、何をしにきたのだ。覚悟を持って、見定めよ。

もっと大きな別の誰かが、叫び逃げ出そうとする僕を諭していた。

 

 
眉間は、熱を持ち、赤く腫れ上がったように感じられた。

 

 

 
バリッっと音が聞こえた。
眉間が破れた。
そう感じた瞬間、背骨の一番下、仙骨がものすごい速度で振動を開始した。

 

 

 
同時に意識は、瞳を内側へ向かい、網膜を通り抜け、視神経を辿り、首筋から心臓へ向かった。

 

そのまま意識は、ものすごいスピードで、心臓の奥の細胞の一つへと焦点を定め、飛び込んでいった。

 

 

 

 

空間が、広がっていた。

 

 

 

 

膨大な記憶が、刻まれた空間だった。

 

生命体の記憶だ。

 

 
地球上に水が生まれ、小さな微生物がうごめいていた。

 
緑色の微生物だ。

 
次第に動きを伴い、アメーバのような動く微生物となった。

 

次第にそれは、魚のような生き物となり、陸を歩けるカエルのようになっていった。

 

 
爬虫類が、争いあっていた。

 

恐竜とは、本当にいたのだ。

意識の僕が、生命体の記憶を眺めながらつぶやいていた。

 
鳥となり、大空を羽ばたいている感覚や風景、羽を広げ羽に受ける大氣の圧力をリアルに感じ、肩甲骨が翼の名残であることを読み取っていた。

 

そうこうするうちに、生命体の記憶は、人間へとたどり着いていた。

 
白血球は、アメーバそのものであり、尾てい骨は尻尾の名残であり、手には水かきの面影が残る人間という生命体。

 
その奥には、あらゆる生命の膨大な記憶が刻まれていた。

 

 

そして、僕の意識は、青白い光となって空間に浮かんでいた。

 

 
心地よかった。

 

 

熱くも、寒くもない。

時間は、なかった。

なぜかと聞かれても、答えられない。

そこには、時間は存在しないということだけはよくわかった。

 

 
ずーっと下の方に、いままで使ってきた体が横たわっていた。

 

ああ、あの体だ。

 

 

愛しい、愛しい、あの体だ。

そう感じた。

 

 

いろいろな体験をくれた。
人と交わった。

 

様々な大地へと運び、肉を通した体験をくれた体だ。

 

 

 

感じたことのないほど、愛おしさを感じた。

 

 

ありがたい。

 

 

肉体を使った。体験の世界。

 

 

もう、肉体を離れ、心地の良い光の世界に行けることもよく分かっていた。

 

 

少しだけ、迷いがあった。

 
でも、まだこの体を使い体験させていただこう。

 

 

そう、決めた。

 
ずーっと下へと降りていった。

 

 

降りていくことは、思った以上に大変だった。

 
どす黒い、泥のようなものが、まとわりついてきた。
様々な恐怖や、悲しみや苦しみ、そういったものが降りるに連れて、伴にくっついてくるようだ。

 
「これが、この世界の体験なのだ」
諭すような声が聞こえた。

 
「光として、更なる光をもって、闇で包まれた上でも更に光ってみよ。」

 
「光は、震えることで、光を増す。光にとっての震えとは、感動だ。」

 
「感動せよ。感動させよ。闇は、苦しみとして悲しみとして、感動を生み出すために存在させた。」

 
「全ては大した問題ではない。感動に向かい、感動を生み出すために前進するのだ。」

 
厳かな諭す声が、肉体へと降りてゆく魂の僕に、力強く語りかけていた。

 

 

 

 

 

 

瞳を開けようとする。
開け方が、分からない。

 

上と下、右と左が分からない。

 

瞳は何とか開けたが、空間に浮かんでいる物体が、自分の手であると認識するまでには、相当の時間を要した。

 

指の動かし方を、思い出すように、確かめるように行う中で、このようにして幼い肉体に宿ってきたことを思い出していた。

 

 

 

 

 

そうか、こうして僕は、この星に生まれてきたのか。

 

 

 

 
アヤ・ワスカを通して、もう一度僕は、この世界に生まれた。

 

 

 

太古の儀式、「アヤ・ワスカ」を綴る

こんにちは。

〜わたしに還るyoga〜のクラスを開いています、山崎大です。

 

世界中を旅する中でゆき場所が、瞑想でありyogaでした。

現在は、地元を中心にクラスを開いております。

こちらでは、エピソードを交えyogaと瞑想について綴ってまいります。

ご興味のおありの方、お付き合いいただけたら幸いです。

 

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なぜ、僕が瞑想やyogaをお伝えしたいと感じているのか。

 

瞑想やヨガとは、随分と違う領域を生きてきた人間。


体を動かすことは、大学を卒業してから殆どしていなかったし、特別必要とも感じていなかった。


大金持ちになりたいとまでは思わないにしろ、それなりに物を望んでいた。

 

女性にももてたいと感じていたし、劣等感を優越感に変えたかったのだろう。
上質な物を欲しがっていたように思う。


そんな僕は、上質な洋服を扱うアパレル会社に勤めており、ある日脳卒中を起こしたのだった。


強烈に人生にストップがかかり、今までを振り返らざるを得なくなった。


泣いても笑っても、一度きり。


自分とは、後にも先にも、ここにしか存在し得ない。


そんな聞き慣れた言葉たちが急にリアリティを持って、僕の前に立ちはだかっていた。


覚悟を決めたと言えば、聞こえはいいかもしれない。

 

ただ、もう、どうでも良かったのだ。

 

脳卒中から人生は拍車をかけて、急な展開を見せていた。

 

 


人生という歯車が転がっていった。

 

加速度が増し、一定の速度がついた時、それはもう制御など出来なかった。

 

歯車は転がり続け、いろいろな物にぶつかり、蹴散らしながらやがて止まった。

 

 


止まった後は、ただ静かだった。

 

離婚した。

 

職もなかった。

 

旅に出ることは、決めていた。

 

脳卒中で倒れ、運ばれた病院で決めたことだった。


「いつかやろう」と決めていた。


「いつかやろう」は、一生やらないということだと知りながら、決めていた。

 

でも、なぜだろう。


氣がついたときには、全てが揃っていた。

 

 

 

後は旅立つだけだった。


 

「お前は、旅に出なければならない」

そんな重圧を持って、人生そのものが迫ってきていたように今思う。

 

旅に出た僕は、いろいろなものをみたいと思った。

 

「どうして、この世界に生を受けたのか?」
誰しもが、一度は抱きながらも、奥へとしまい込んだ疑問。


 

皆が感じている。

 

失うものなど、もう何もない。
ならば、僕はそこに身を投じよう。

 

旅を続ける原動力は、ただその一点においてだった。

 

貪るように国々を旅し、多くの人や文化と出逢っていった。



「もう、どうでもいい」そんな僕の中に住み着いていた、投げやりな幼さは次第に癒され、人間が生きること、人がつながってゆくこと、苦しみが生むドラマ、自然が生み出す筆舌に尽くし難い情景、その奥底に流れる圧倒的なやさしさに、夢中になっていった。


 

旅は、僕に人との出逢いを用意し、自然との繋がりを思い出させ、生きることへの活力を取り戻させた。

 

旅が、僕を癒した。

 

ただ僕は、もっと知りたかった。

 

旅が僕に与えてくれた体験は、個人的なものだった。

 

 


もっと強烈に、共有し、皆で泣き崩れるような感動が出来る。そんな思いがありながら、その術を知らず、一人にすらうまく伝えられない。


 

そんなもどかしさがあった。

 

 

 

また、世界は、経済で縛り上げられてもいた。

 

都市部へ行けば、人々は着飾り、たしかにお金を持っていた。


そして表情はかたく、歩く速度は早い。

いつも頭の中のモーターが高速回転しており、食べの味すら感じてない。

そして、外側から与えられた「こうあるべき姿」というものに向かっていた。 

 

 

 

彼らは、いつの間にか本当にやりたいことを忘れていた。

 

「こうあるべき姿」が外側から与えられたものであることも、忘れていた。

 

あるべき姿に向かうことが、正しいことであり、そうしない人を蔑むようだった。


 

僕は、眺めていた。

 

街を眺めながら、目の前を通り過ぎる何人もの昔の僕を眺めていた。


彼らは、生きる本当の喜びを知らない。
彼らは、完全にコントロールされていた。


彼らにとってコントロールされることは、初めは苦痛だった。


でも、コントロールされ続けた。
嫌がる心を滅しながら、コントロールされ続けた。


次第にコントロール無しでは、生きることが出来なくなっていき、おまけに幼い世代をコントロールする側にまわっていた。


それは、以前の僕の姿であり、救い出すべき存在たちだった。 

 

 

これ程まで多くの人たちが、無感動に生きている事実。

 

六十数カ国を旅した後だろうか。

世界は、隅々まで、経済の支配が入り込んでいるように僕には映った。

 

 


この支配構造を打破しなければ、人と真につながり、感動の爆発を起こすことは難しい。

 

僕は、本を書きながら旅していた。

 

心の深い部分を突き刺すような、生を感じるような、そんな本が書きたかった。


「でも、まだ足りない。」
旅を続けながら、そんな想いをぶら下げていた。

 

多くの国々を体験し、多くの民族、文化に出逢い、心から感動し、涙した。

でも、何かがまだ足りなかった。

 

つかみ取れていない、何かを感じていた。

僕が感じ取れていない以上、表現などもっての外だった。

 

南米ペルーには、「アヤ・ワスカ」という儀式がある。

アヤとは、魂を意味し、ワスカとは、繋ぐという意味らしい。

 

魂と繋がる。

 

そんな儀式だと言う。


聞くところによると、
「リアリティを持って、前世を再体験した。」
「死んだ遺族に会い、実際に会話をした。」
「生命の膨大な記憶を実体験した。」
「実際に猫や犬、虫やヘビになり、彼らの視点や感覚を体験した。」
「人知を超えた神のような存在や、まばゆいばかりの光と実際に出逢った。」

 

など、眉唾とも言える体験談は枚挙に遑がない。

 

そして、旅する中で体験を終えてきた人たちにも何人もお逢いしていた。

 

アヤ・ワスカとは、ある植物の根っこを煎じたお茶を飲み干す。

その作用と空間に存在する精霊たち、そしてシャーマンと呼ばれる人間が、人をそのような体験の出来る空間へと導いてゆく。


ペルーでは、万能の薬となる儀式だとされている。


ガンを始めあらゆる病氣、精神疾患を治すとされる。


しかし、お茶の成分にDMT(ジメチルトリプタミン)と呼ばれる物質が含まれているらしい。
天然由来の成分ではあるが、これはアメリカ政府が違法だと定めているものの一つだ。


アメリカからの指摘に、ペルー政府はアヤ・ワスカの儀式を国宝と定めることで守っている。


ペルーでは、2000年以上前から続いてきた儀式なのだ。

 

アメリカを取るか、はたまたペルーか。

そんな2極論ではなく、僕はそこに真実があることを感じていた。

 

時々儀式で死者も出ることが知られていたが、迷いの余地など一切なかった。

アマゾン流域の足を伸ばし、民族の暮らす村を訪問した。


つづく。
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分量の関係上、続きは次回に持ち越させていただきます。


最後までお読みいただけたこと、ありがとうございます。